虚勢の銀貨

東村の日々の記録

最近の世の中を見て思うこと

 今の日本社会について考える。

 私は外れ者なりに日本人だ。少なくとも日本国籍を持っていて、海外旅行をするときは日本国のパスポートを持っていく。主食はやはり米が好きだし、醤油や味噌、豆腐といった大豆製品も割合よく口にする。

 何故こんな回りくどい言い方をするかというと、単純に「私は日本人という属性を持っている」という事実だけを強調したいからだ。この場で私は右翼や左翼、保守派や改革派云々について主張するつもりはない。誰かを攻撃する意図も、何かを擁護する意思もない。ただ私が日頃感じていることを素直に吐き出したいだけなのだ。

 

 先日、ベトナム人へインタビューする動画を見た。以前にも目にしたことがあったが、この折に再度、その動画でのベトナム人のコメントについて考えてみたい。

 ベトナムへは学生時代に旅行で行ったきり、特にその国について研究いたわけでも、現地に友人ができて連絡を取っているわけでもない。強いて言うなら、日本で展開しているベトナム料理屋が好きなくらいだろうか。フォーのあっさりしたスープとパクチーの香りと存外腹に溜まる米粉の麺が好きなのだ。

 「両極端な街だな」、旅行の際に感じたことだ。訪れたホーチミンは中心部には高層ビルが乱立し、高級ホテルが大通りに沿って並び、行きかう人も流行りのお洒落をして垢抜けた印象だった。反面、元の色が分からないほど傷んだ服を着た人が物乞いをしていたり、生きているか死んでいるか判然としない人が路地裏に倒れていたりと、貧困の様相はしっかりと見て取れた。そんな赤と青のコントラストじみた景観に触れて、「両極端な街だな」と思ったのだ。

 

 

 最近、ベトナムではITが急成長しているらしい。いろんな国が外注としてベトナムに支社や子会社を作り、ITスキルを教えることでベトナム全体のITリテラシーが底上げされているようだ。私が見た動画の街頭インタビューでは次のようなコメントが出ていた。

「日本はプレッシャーが凄そうで、一緒に働きたいと思わない」

「日本はもう目指すべき国ではない」

別段、私は愛国心が強いわけではない。しかし、このコメントを目にしてショックを受けた。愛国心は強くないが、先進国であるという自負はあった。その国の住民として、一般的には発展途上と言われる国の人から「目指すべき場所ではない」と言われたのだ。断っておくが、私は日本>ベトナムだから侮辱されたように感じた、とかそういうわけではない。「目指すべき場所ではない、目指すべき魅力がない」と言われたこと自体が純粋に悲しかっただけだ。

 

 【今の日本】という言葉が指す範囲はどこからだろうか。平成が始まったことが、2000年からか、リーマンショック以降か、現行政権が発足してからか。語り手によって各々定義はあるだろう。私は【スマホの世帯普及率が50%を超える2012~2013年あたりから今日まで】を指してこの言葉を使う。

 政治の問題を抜きにして、今の日本は魅力のある国だろうか。日本の素晴らしさを紹介するテレビ番組はいくつかある。どれも伝統工芸の職人や、旬の高級食材を案内するものだが、それがイコール日本の魅力になり得るだろうか。和紙や西陣織、伊万里焼、ねぶた祭り、能楽、芸者、などなど。確かに日本を代表する伝統工芸だが、私はそれが日本の魅力になるとは思えない。

 素晴らしい伝統工芸は日本に限らず、世界中に存在している。中国の七宝焼きや北京玉彫、マレーシアのバティック、カンボジアのクロマー、ロシアのグジェリ陶器、リトアニアの十字架、ドイツのカッコウ時計etc. それらが国の魅力に直結しているだろうか。

 上記の品々は非常に美麗で、長い間守られてきた技法や素材で作られた素晴らしいものだが、それが市民ひいては国民の生活にどれだけ浸透しているかは怪しいものだ。

 私が言いたいことを極単純化すると「一万を超えるキャラクターの中の一体だけの必殺技モーションが非常に恰好良く、見るもの全てが惚れるポテンシャルがあったとして、他の9999体のキャラクターがほぼ棒人間でモーションも何もあったものじゃないゲーム」に魅力があるか、ということだ。加えてそのキャラクターが、ユーザーの3%未満しか入手していないorできない、とあれば尚更ではないか。

 私は「確かに日本で育まれたものの中には非常に素晴らしいものがあるが、それは職人や携わる人が凄いのであって、土壌を無条件で称えるものではない」と思うのだ。

 

 国を構成する要素は主権・領域・国民である。そのうち、日本は民主主義であることから構成要素の2/3は国民へ帰属する。私はこの国民、また国民の生活こそが国の魅力を標榜するものではないか、と思うのだ。

 それを前提と仮定して、再再度考えてみる。

「日本国民は魅力的だろうか」

「日本国民の生活は魅力的だろうか」

表向きは成果が反映される評価にはなったが、実態は未だ根深く残る年功序列。過労死やパワハラ、セクハラが横行し、機能しているか否かすら判然としない労働基準監督署。頑張れば頑張っただけ仕事を増やされ、右に倣えと頭から押さえつけられる。教育機関に視点を落とせば、画一的な思考を形成させるか、教師陣の優越感を得るために利用される生徒、大学は遊ぶ場所になり、どいつもこいつも狂ったように流行だけを追いかける。

 そんな国に、果たして魅力はあるだろうか。

 政治の問題に頭を悩ませ、野党を叱責、与党を糾弾、大局を変えるためにはそれも大切だろう。樹木をより強くするために間引きをするのは昔からの手法だ。しかし、腐った土壌に根は張らない。

流されるだけじゃ何も変わらんぞ。

 

 

ゲヘナより哀をこめて