虚勢の銀貨

東村の日々の記録

ヒンノムの丘より

 動作記憶。

 この単語に見覚え聞き覚えがある人は少ないかもしれない。私と同種の人間か、その類を相手する学問、職業でなければ恐らく日常的に見受けること自体ないものだからだ。動作記憶、ワーキングメモリ――呼び方はなんでもいい――は、端的に言ってしまえばキャッシュメモリのことだ。

 

 ケータイのゲームアプリを最初に起動する際、多分に取られるロード時間に辟易とした人は少なくないだろう。これはケータイのキャッシュメモリにデータが残っていないからだ。初回の必殺技演出のときに一瞬画面がフリーズしたり、エリア移動のロード画面が延々続いたり、これも全て同じで、アプリを提供する側のサーバからデータをダウンロードしているからなのだ。

 「なら、もうゲームデータ自体アプリに入れておいて一括ダウンロードすればいいじゃないか」と言う人もいる。確かにそれは考え方としてはアリだ。あくまで考え方として、だが。PS2のゲームデータ、もといゲームソフトの媒体であるDVDの容量は5ギガバイトPS3のソフトの媒体であるブルーレイは25ギガバイトだ。単純に、一つのアプリにこれだけの容量を割けるほど余裕のあるスマホユーザーはそうはいないだろう。

 では毎度毎度長いロード時間を経験しなければならないのか。いや、そうではない。頻繁に使うデータ(必殺技演出やエリア移動等)はキャッシュメモリに溜められる。

 キャッシュメモリは、こうした遅延をユーザー側に感じさせないよう、データをいくらか保管しておくための装置だ。ゲームが上手く起動できない際に「アプリのキャッシュメモリをクリアしてください」と通知が出るのは、キャッシュアプリがひっ迫されて上手くシーケンスが進まないから、それを解消するために原因を取り除いてくれ、と言われているのだ。

 

 閑話休題、人間でそのキャッシュメモリに相当するものが、私はワーキングメモリだと考えている。人間の場合は、別にサーバに自身を接続してデータをダウンロードするわけではないが、人から指示を受けたり、何かの動作中に別の情報が舞い込んだりするだろう。その時、伝達された情報を溜めておく場所だ。

 だから、このワーキングメモリが貧弱だと、1~10まで指示されるにあたって10を聞く頃には1~4は抜けている、ということが起きる。前から順にぬけていくのではなく、印象付けられたものが記憶には強く残るために、聞き終えて覚えているのが2,4,5,6,9,10ということだってザラなのだ。

 

 忘れっぽい、とよく勘違いされがちなのだが、当人としてはまず覚えてすらいないのだ。常人であれば(私が常人の感覚を想像できるかどうかは度外視して)何か指示を受けたあとで、リマインドのメモを作成するなり、頭の中で整理するなりできるだろう。ものごとに優先順位をつけ、筋道を立て、実行に移す。これがワーキングメモリの力だ。

 私に限らず、私と同類のこの、ワーキングメモリが貧弱な状態、というのは優先順位を付けるのがことごとく下手だ。だから時間管理が上手くいかず、目の前のものにだけ集中するようになってしまう。無論、そのことから逃げているわけでも、手を抜いているわけでもない。単純に「できない」のだ。

 仕事をするにあたって、「納期から逆算していけば簡単に順序とタスクが見えてくる」と何度も何度も何度も何度も言われてきたが、そもそも逆算ができない。ゴールから考えると、途中で元々の命題が何であったかが抜けてしまう。確認に戻れば、今度はゴールやプロセスを見失う。自分なりに上手くスケジュールを立てられたと思っても、常人からすれば途中であらぬ方向へ飛んでしまっているのだ。

 

 こう書いていると、まるで頭がバグっていることにかまけて逃げているだけのように見えるかもしれない。私がこうして現実では吐露できないことを書いているのは、守ってほしいだとか、特別扱いして欲しいなどといったことを求めているのではなく、単純に知ってほしいのだ。

 別に私のブログが社会現象になって、常人が我々に目を向けてみんなでお手手繋いで、の社会にしたいわけでもないし、知ってもらったからといって、それを考慮しろとも言わない。【But, I’m not only one/Imagine】のように、我々は少数ではない。全人口の5%前後はいると言われている。100人規模のコミュニティで5人、1000人規模の企業で50人。割合としてはそれだけが確かに生きているのだ。

 人によっては、それ相応の対応を求める人もいるだろう。甘えて特別扱いを要する輩も出てくるかもしれない。私はここで、そうした危惧を知りながら敢えて言おう。

  私達のことを知ってほしい。どういう世界に生きているかを感じて欲しい。

 

ゲヘナより哀をこめて