蔵書紹介:『アイの物語』
AI、と聞いて肯定的な反応を示す人はどれくらいいるのでしょう。
少なくとも今の社会人(IT企業に勤めていたり、世間の情勢について調べるのが好きな人を除いて)はいい感情を持っていないのではないでしょうか。
「AIに仕事を奪われる」「AIが台頭したら人間が不要になる」「AIが人類を滅ぼす」そんな扇情的な文句に踊らされて、まともにものを考えていない人が大多数かな、と感じています。私見を述べるなら、2045年にAIの技術的特異点が到来して、人類の知恵の総体よりもAIの知性が勝った世界が生まれたとして、上記ような危惧が具現化することはないでしょう。2018年の現在でさえ、「履歴書は手書きの方が気持ちが伝わる」「面と向かって話をした方が本音が分かる」「飲みに行くのも仕事のうち」なんて非合理で非生産的なことをしている国ですからね。
さて、毒を吐くのはこれくらいにして本題に入りましょう。
今回の蔵書紹介はそんなAIにまつわる本です。
『アイの物語』
文庫: 584ページ
出版社: KADOKAWA/角川書店 (2009/3/25)
言語: 日本語
ISBN-10: 404460116X
ISBN-13: 978-4044601164
発売日: 2009/3/25
現在の日本SFの巨匠、山本弘さんの一冊になります。先日紹介した上田早夕里さんと並んで、私が最も好きな作家の一人です。
山本さんの作品は「世間に対する批判や警鐘」「SFの純粋な面白さ」に二分されると私は感じています。あくまで個人の意見ですので、当の山本さんにそうした思惑があるかは定かでないですけどね。
今回の『アイの物語』は後者にあたります。ヒロインのアンドロイド「アイビス」が主人公に語る話がそれぞれ短編という形を取っている作品です。
いきなりのネタバレというわけではありませんが、タイトルの『アイの物語』、この「アイ」には複数の意味が込められています。愛、哀、I(私)、i(虚数)、アイ(アイビスの愛称)などなど。どれを強く感じるか、どれが根幹をなしているかは、実際に皆様が各々手に取って感じていただけたらと思います。
本書の中身に入っていきましょう。
短編集という形ですので、章分けは以下のようになっています。
・宇宙はぼくの手の上に
・ときめき仮想空間
・ミラーガール
・ブラックホールダイバー
・正義が正義である世界
・詩音が来た日
・アイの物語
それぞれの間に『インターフェース』という幕間の対話があります。各章をアイビスが主人公へ読み聞かせをしているという体ですので、それについての感想や解釈いついての会話ですね。面白いのは全て山本さんの自作であるにも関わらず、「今の技術じゃさっきの話みたいなことは実現できない」なんてばっさり切ってしまうんですよね。フィクションをフィクションとして割り切りながら、如何にそのフィクションを楽しむことに愉しみがあるか、改めて考えさせられることが多いです。
私がこの中で特に推したいのが二編、『宇宙はぼくの手の上に』『ブラックホールダイバー』です。特に『宇宙はぼくの手の上に』は作家志望の方には是非とも読んでいただきたい一編です。
『宇宙はぼくの手の上に』
ストーリーとしては、ネット上で匿名でリレー小説を書いているサークルについてのお話です。サークルの名前となった宇宙船に、サークル員それぞれのアバターのようなキャラクターが搭乗している、という設定です。この話の主人公は作中作の宇宙船でのキャプテンです。作中作自体は彼女の独断で進むわけではなく、サークル員が各々アイディアを出し合って、こんな展開はどうか、こんなガジェットはどうかと話し合いながら執筆を進めていきます。
そんな生活をしている中、彼女のもとに一人の刑事が訪ねてきます。曰く「サークル員の一人が犯罪を犯し、逃亡中だから何か知らないか」と。しかし、恐らくこの話の中で犯罪が起きてどうなったかということはそこまで大切なことではないんです。
この刑事と主人公の間で「いい年して何やってんだ」「もっと現実を見たらどうだ」そんな内容の会話がされます。しまいには「妄想が行き過ぎて犯罪に」なんてところまで飛び火します。主人公は釈然としないまま、いつもの宇宙船へ搭乗します。
逃亡しているというサークル員からはしばらく連絡もなく、執筆の方も滞っていました。先の展開が上手いこと思いつかず、サークル員のみんながどうしようかと悩んでいたんです。
そんな折に逃亡中の彼からの書き込みがありました。その内容は、犯してしまった罪や、これまでの自身のやるせなさを吐露するようなものでした。彼の一案で作中作のストーリーは進み、大団円を迎えます。
ここで重要になってくるのは、逃亡者の彼が書いた展開は、現実の彼が望んでいたもので、それをフィクションを通して伝えてきた、ということなんです。現実において、現実主義者の人に対してフィクションが無力であることは、恐らく皆さんご存知の通りでしょう。
ですがフィクションの力を信じるものにとって、フィクションは時として現実のどんな金言や現象よりも強い力を持つことがあります。この一編は私達文字の海に生きる者にとって、それを思い出させてくれる貴重なものだと、私は勝手に思っています。
『ブラックホールダイバー』
ブラックホールの監視観測のために設計された宇宙ステーションが主人公とした一編です。これの特徴は、何と言っても描写が綺麗! 宇宙ものでは暴虐の王、避けられない破滅の代名詞として扱われるブラックホールを、ここまで美しく描けるのか、と感動したのを覚えています。私もブラックホールをテーマにした、『末裔の薄幸』を書きましたが、やはり山本さんのように美しくは描けませんでした。
ストーリーとしては、半永久的にブラックホールを観測するAIが、そこへ飛び込むために訪れる人間達を世話し続ける、というものです。AIだからこそ何人もの人間を見送り、でもAIだからこそその姿を見ても心が軋まない様子が端麗に描かれます。ブラックホールへ飛び込む人間、だからタイトルが『ブラックホールダイバー』なんですね。
何故そこへ飛び込むのか。理由は登場する人によって様々ですが、一つにはシュバルツシルトの特異点があります。現存するブラックホールもこの特異点はある、とされています。簡単に言ってしまえば、「重力が無限大になる場所」です。事象の地平線――重力が強くなりすぎ、光すら脱出できないデッドライン――の中心がそれです。地球に例えると、地表が事象の地平線、内核が特異点です。
実際の科学でも、この特異点の正体については主に二つの意見に分かれています。
①極限まで圧縮された物質であるとする仮説。
②誕生時の超新星爆発で空いた空間の穴だとする仮説。
この②に則って話すと、理論上、光すら脱出できない重力による潮汐破壊に耐えて特異点を通過できれば、別の空間(別次元や別宇宙)に行ける、ということになります。突飛な話に聞こえますか? でも反証が存在しない以上、可能性としては十分にあり得るのです。勿論、今現在の技術でそんな重力に耐えられるものは存在しませんけどね。(ちなみに私は②の理論信者です。何故ならロマンがあるから!)
さてさて、作中の人物達が何故飛び込むのか、ですが、この②の理論を信じて特異点を通過できると考えているからです。飛び込むのは冒険家だったり新興宗教だったり物見遊山だったりいろいろですけどね。そんな人を何十年も何百年も見送ってきたAIが、一人の女性をステーション内に受け入れます。彼女も冒険家で特異点通過の可能性を信じていました。ここでAIは、これまで失敗してきた人と同じか、と落胆しますが、彼女は考えられうる最強の装備で臨んでいることを告げます。
次第にAIの心は揺れ、最後には彼女が突入するのを見届けます。さあ、果たして彼女が通過できるかどうかは実際に皆さんが読んで確かめてください。
皆さん如何でしょうか。
先に紹介した『ニューロマンサー』や、SFの金字塔『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』は長編でいきなりとっつくには難しいものがあるかもしれません。
ですがこの『アイの物語』は比較的平易な言葉で、美しく語られていますし、短編集ですので常に肩に力が入っている、ということもありません。上田早夕里さんや長谷敏司さん、野崎まどさん、小林泰三さんはSFらしいSFを書きますが、山本弘さんは普段読まない方へ向けた面白いSFを書くのが得意なのではないか、と勝手ながら思っています。勿論、この中で誰が優れていて、誰が劣っているなんてことはなく、皆さんとても素敵な作品を書かれています。
あまりSFを読まない人からオススメを聞かれた際に必ず紹介するのが、山本さんの作品です。
これを読んでくれている皆さんにも、是非手に取っていただきたい一冊を今回はご紹介しました。
ゲヘナより愛を込めて。