虚勢の銀貨

東村の日々の記録

仮装するなら愚者より賢者がいい

 集団心理で暴走した馬鹿共が渋谷で暴動を起こして、ここ数日騒ぎになっているのを目にします。どうも日本の知能が低い連中は、「ハロウィーン=コスプレをすれば何をしても免罪符になる日」と勘違いしているようです。

 よもや私のブログを読んでくれている方々にそうした人種はいないと思いますが、ここは時期も時期ですし、ハロウィーンについて少し書いていこうと思います。ただ、如何せん古代のことですので、確かな文献は残っていません。私が集めた、確証がそこそこ高いものに則って書いていきますので、皆さんが知るものと違った場合にはご容赦ください。

 

 そもそもハロウィーンは皆さんもご存じの通りキリスト教由来のものではありません。元々は古代ケルト民間信仰でした。

 2000年以上昔の古代ケルトでは、現在のグレゴリオ暦ではなく「11月1日~10月31日」となる暦を使用していました。これは農耕の収穫の時期と併せたものです。また、一日の終わりは深夜0時ではなく、日没時とされていました。今と違って時計もありませんし、当然と言えば当然ですね。

 ケルト、つまりブリテン島北部は緯度も高いことから厳しい冬を迎えます。11月1日はそんな冬の入り口でした。日本では正月に神社へお参りをしてその年一年の福を祈りますよね。門松や鏡餅が各家庭を訪れる福神の目印であることは今ではあまり知られていませんが、日本の正月には神様がたくさん来るらしいです。古代ケルトでも同様の考え方がされていて、ですが出てくるのは何も良い神や霊だけではありません。

 

 ハロウィーンは現代でこそハロウィーンとされていますが、中身を分解すると「収穫祭」と「サウィン祭」に分かれるんです。収穫祭は文字通り、その年一年の収穫に感謝する祭りです。ですがサウィン祭は馴染みがないのではありませんか? これこそハロウィーンの肝なんです。

 古代ケルトの新年の始まり(10月31日の日没後)は冥界もしくは魔界と現世を繋ぐトンネルの入り口が開く日ともされていました。その日にサウィンが魔界から出てくると、善良な生者の魂をあの世に持ち去ってしまうのです、ただ、サウィンには弱点があって生者しか認識できないんです。だから古代ケルトの人々は幽霊や魔獣の仮装をすることでサウィンの魔の手から逃れていたんです。これがサウィン祭の中身です。

 

 そして、「Trick or Treat(お菓子くれなきゃ悪戯するぞ)」は今では定着したワードですが、これは原典をなぞると、相互扶助的な面があります。2000年も昔ですから、今よりも食糧事情が悪く、食糧を貯えられる家庭とそうでない家庭が、どうしても同じコミュニティ内で存在してしまいます。そうしたときに、豊作だったところから貧しいところへ、富の再分配のように食糧が流れます。こうしてコミュニティ内の結束も水準も保っていたんですね。

 

 では何故、渋谷の暴動とまでいかずとも、子供が仮装してお菓子を貰うようになっていったのでしょう。これにはキリスト教の伝播が関わっています。

 キリスト教、主にカトリックルネサンス前には教化と称して多少強引にでも諸外国のキリスト教化を推し進めていきました。当然、キリスト教が普及していない地域に行くわけですから、その土地にはキリスト教とは異なる信仰や伝承があります。古代ケルトもそうした地域の一つでした。

 キリスト教唯一神教ですから、当然父以外の神、ルシーフェロ以外の魔王を認めません。神話についてはとても厳しいものですが、その他については柔軟な面もあります。キリスト教徒は古代ケルトハロウィーンを、最初から否定するのではなくキリスト教の行事として取り入れました。サウィン祭としての下りは消されましたが、仮装をする収穫祭としての側面は残り、皆さんも知ると通り現在にまで受け継がれています。クリスマスを他の信仰から吸い上げた手法と同じですね。元々クリスマスはキリスト、もといイエスの誕生日ではありませんよ。実際聖書にも「イエスは羊の毛刈りの季節(5~9月の間)に誕生した」って記述もありますから。

 

 さてさて、キリスト教に吸収されたハロウィーンは食糧事情が変わった近代からは相互扶助の役目はなくなりましたが、代わりにコミュニティの結束向上としての面が強調されてきました。ちょうど日本でも行われる市民祭りみたいなものですね。

 日本でハロウィーンがメジャーになる火付け役を担ったのはディズニーと聞いています。ランドやシーのハロウィンイベントが人気となり、マスコミが相も変らぬ偏向報道をして、守銭奴のマーケッターが広告を乱発し、知能の低い下賤の民が群がった形ですね。

 

 日本が宗教を問わず、興味を持った文化を吸収できる土壌がある国なのは、確かに素晴らしいことです。しかし、いつもそれは中途半端です。正月は神社へ参拝し、バレンタインはチョコを渡し、ジューンブライドを有り難がり、お盆は寺へ墓参りし、ハロウィンでバカ騒ぎをし、クリスマスにはチキンを食べます。ガチャガチャにもほどがある。

 一つ一つにはとても深い意味があるんです。ジューンブライドの話をしましょうか? バレンタインの話をしましょうか? クリスマスは何故チキンではなくターキーなのか話しましょうか?

 上っ面じゃなくて、もっと中身を見てください。経済至上主義やありもしない免罪符を望むアホ共には難しいかもしれませんが、きっと私がツイッターで繋がっている方々は皆さんこの世の中では貴重な、自分で考える力がある人です。与えられるものを盲信するなんて、みっともない真似はしないでください。

 

ゲヘナより哀を込めて。