虚勢の銀貨

東村の日々の記録

蔵書紹介:『know』

 ラプラスの悪魔って聞いたことがありませんか?

 簡単に言うと、「今この瞬間の元素の分布と力を全て知覚して理解、計算できる知能/知性があれば未来も過去も簡単に割り出せる」ってものです。思考実験の一つですけどね。

 ただ、このラプラスの悪魔量子論の台頭と共に否定されました。不確定性原理が証明されてしまったので。

 いえ、私が話したいのは量子論ではありません。ラプラスの悪魔でも否定されていない部分はあるんです。「計算で導くことはできる」ってことがポイントなんです。計算で何かを求めるって皆さんもやっているでしょう。算数や数学の問題に限らず、「車がこれくらいのスピードだから、このタイミングなら道路を横切れそう」とか「丸めたティッシュはこれくらいの力で投げればごみ箱に入りそう」とか。計算って言うとどうしても数式を思い浮かべがちですけど、これも立派な計算ですよね。

 また、その計算をする場所は脳です。「身体が覚えてる」や「反射で対応する」は今回ちょっと脇へ置いてください。脳は常に数多くのことを受容して計算して、私達が知覚していること以上の働きをしています。それを、何かのデバイスを使って増強、加速できるとしたらどうですか?

 今回はそんなお話です。

 

文庫: 368ページ

出版社: 早川書房 (2013/7/24)

言語: 日本語

ISBN-10: 4150311218

ISBN-13: 978-4150311216

発売日: 2013/7/24

 

 秋からアニメが放送される『バビロン』の原作者、野崎まどさんの作品です。舞台は2081年の京都、でも車が空を飛んだりアンドロイドが闊歩したりってことはありません。舞台設定で現代と大きな違いは「情報材」と「電子葉」の存在でしょう。

 「情報材」は生もの以外ほとんど全てに含まれる、それ自体が情報を持った素材です。ですから、そこにアクセスすることで、簡単に言えば地図や案内板や注意書きみたいなものを取り出せるんです。京都は観光客が多く、街中もそれなりに入り組んでいますから、仮に同じ技術が成立すればかなり便利になるでしょう。

 もう一つ、「電子葉」これが今作の重要なマクガフィンとなってきます。端的に言ってしまえば、脳に直接接続したスマートフォン。念じる、というか考えるだけで種々の情報を検索できるんです。例えば、私達は明日の天気を調べるときには、スマホやPC、テレビや新聞で調べるでしょう。でもこの電子葉を導入していれば明日の天気について考えるだけでその情報を得ることができるんです。

 

 これだけ情報化が進んだ舞台ですから、勿論その統制機関もあります。それが情報庁。国家公務員の一つに数えられています。情報統制、と言っても『1984』のように完全な監視社会を築いたわけではなく、情報系の犯罪が起きないか、濫用されている情報はないか、そうしたことを監視する組織です。

 主人公はこの情報庁に勤務するエリート「御野 連レル」です。最初、この作品に抵抗を覚えるとしたら、独特な名前の付け方でしょうね。御野は若くして役職持ちまで上り詰めたエリートですが、性格はあまり模範的ではありません。物語の冒頭でいきなり職権乱用していますからね。

 彼の情報アクセスレベルは5。一般人には手が届かないところにいます。この情報アクセスレベルがまた作中で重要になってくるんです。一般人には1~3、専門職の4、官公庁のエリートの5、総理や大臣クラスの6となっています。その中で御野は5ですから、彼の地位の高さは分かると思います。私達現代人に収入の格差があるように、作中の人物にあるのは情報アクセスの格差です。下のものは上のものからの情報開示要求をブロックできません。だから、レベル5の彼は世の中のほとんど全ての情報にアクセスできるわけです。

 ですが彼のレベルを以てしても太刀打ちできないような相手も出てきます。それは読んでからのお楽しみってことで。

 

 今作の中でヒロインとなるのは、「道終 知ル」です。御野の恩師、「道終 常イチ」の娘で、電子葉ではなく量子葉を備えた少女です。電子コンピュータと量子コンユータの違いは多分、結構前に別の記事で書いたかなと思いますので、詳しい話は割愛しますね。端的におさらいすると、今のコンピュータが電子コンピュータで電気(電子)の動きを持って稼働/操作します。対する量子コンピュータは文字通り量子を利用します。量子の重ね合わせを利用するもので、私の体感的に語弊や誤解を恐れずに言うなら、複数の正誤を瞬時に導き出せるもの、みたいな感じですね。

 電子コンピュータに比べて量子コンピュータが強力っていうのはそれはそうなんですが、厳密には違うんですよ。見落とされがちですけど大切なのは「複数の正誤」を導くってことです、が、、、話が思いっきり脱線していくのでこのあたりで。

 単純に、電子コンピュータよりも圧倒的に性能がいいコンピュータ、と理解でしていれば本作はそこまで躓かないと思います。知ルはそんな量子コンピュータの補助脳、量子葉を持っています。身も蓋もない言い方をすると、作中の人物の中で最高の処理能力を持っているわけです。そんな彼女と、情報庁エリートの御野が出会って、全てを知るために出かける、ってのがあらすじになります。作中には京都界隈の見知った風景も多数出るので、とっつきにくい話ではないはずです。

 

 タイトルの「know」ですが、複数の意味を持たせたものであることは、多分ここまで読んでいただいた皆さんなら分かると思います。「知る」であり、「知ル」であり、「脳」でもあります。いろんなレビューを見る限り、ゴリゴリのSFといったものではなく、どちらかと言えばエンタメ性の強い作品にはなりますが、勿論、SF的に劣っていることなどなく、むしろ読みやすい勢いの中によくもこれだけSF要素を詰め込めたな、と感動しました。作者の野崎さんのことを「キャラが書けるグレッグイーガン」と評した人がいましたが、(万人にとってそれが正かは置いておいて)言い得て妙、と私は感じます。

 ゴリゴリの、特に海外もののSFってキャラクターの像を掴みにくいことが多いんですよね。文化の違いか、見せ方の違いかは分かりませんが、日本SFの方がキャラクターを具現化しやすいように感じています。特に長谷敏司さんと小川一水さん、そしてこの野崎まどさんはキャラクターの描写においては一線を画していると(勝手ながらに)感じています。勿論、その物語が世界戦を見せたいのか、人間関係を見せたいのか、設定を見せたいのかでまた変わってきますから、一概に断じることはできませんけどね。

 

 ともあれ、普段SFを読んでいない人からしたら、かなりとっつきやすくて読みやすい一冊なはずです。

 もし京都へ出かける予定があるようでしたら、無論そうでなくても手に取ってもらいたい作品です。

know

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ゲヘナより愛を込めて。