虚勢の銀貨

東村の日々の記録

恩知らず

 お久し振りです。最後の更新からほとんど一年経ってしまいました。

 近況報告するようなこともなく、毎日淡々と、時にイベントがある毎日を過ごしているわけではありません。

 そういえば、第十回ハヤカワSFコンテストに応募しました。なんとか結果に繋がってくれる信じてます。。。

 

 最近ね、本があまり読めないんです。時間が取れない、というわけではなく、文章を読んでも目が滑るっていえばいいんですかね、頭に入ってこないんです。

 前は、文章で描写される世界にどっぷり浸かって此方ではない彼方側の世界に思い焦がれたものでした。でも、最近は上滑りするばかりで、没入感が、前よりも得られなくなっています。そうなると、どうしても本から離れてしまって、益々文章にのめり込まなくなって、悪循環に入ってしまったようです。

 

 このところ、やはり私自身と世間とのずれをすごく感じます。やっぱり私って周りと違うんだな、世間に馴染めないんだなって。まあ所詮は人間様と同じ形をした泥人形ですから、そうなっていて当たり前なんですけどね、どうしてもそう思うことが増えました。

 周りと共通した考えを持てなかったり、周りが「面白い」って言うものの面白さが分からなかったり、これば別に小説に限ったことじゃないんです。前々からあったことです。

 

 周りの人やTwitterをはじめとするSNSで「OOは面白い」「XXはここがすごい」なんて評価と言いますかレビューと言いますか、そういうものっていっぱい流れてくるじゃないですか。

 基本的に天邪鬼ですので流行りものは嫌いなんですよね。流行の、ブレイクしたタレントは街中でポスターを見るだけでイライラしますし、某スケート選手がテレビに出たら番組を変えるか電源を落とします。〝流行っている〟って理由だけで追うのをやめてしまった作品も山ほどあります。

 ただ、やっぱり良くないよね、と思って、ここ数年は一度は触れてみようとはしています。流行っているって理由だけで切り捨てるのではなく、一度ちゃんと鑑賞して、そこでジャッジしよう、と考え方を改めました。(小説や漫画みたいな、作品に関してですけどね)

 

 それでも、生まれてこの方バカの一つ覚えみたいに天邪鬼で生きてきたので、多分矯正不可能なほど歪んでしまったんでしょうね。上記の、評判のいい作品を鑑賞しても、「どうしてこれが?」となってしまいます。

「アニメ化決定」「OO大賞受賞」「映画原作」「アマゾンレビュー4.8」評判を表すものはたくさんありますが、そうしたものに触れても、「なんでこれなんだ……?」となってしまいます。

 最近、フォロワーさんが続々をデビューしていきます。そうした方々の作品を読むと、やっぱり私とは違うな、敵わないな、と思うんですよね。先の話と合わせて、なんで彼ら彼女らが受賞するのか分からない、ってことじゃないですよ。素直にすごいと思いますし、尊敬します。

 きっと、私には、彼ら彼女らのような鑑定眼みたいな、世間へ投げかける価値観のような、自分の表すに足る何かがあるんでしょう。それが私にはないんでしょう。皆さん、きっとたくさん努力してきたんでしょう、私なんかよりもインプットもアウトプットも凄まじいんでしょう。

 

 今回、ハヤカワコンテストに出した作品を後輩に下読みしてもらった際に、「舞台がどこか分からない」と言われました。私、作中に散々〝サイゴン〟って出していたので、分かると思っていたんですよね。でも、後輩は分からなかったようです。その後輩は先日デビューが決まりましたから、多分後輩が正しくて私が間違っているんでしょう。

 

 こういう、自分と世間の細かい齟齬が積み重なって、重なり合って、やっぱり私は世間と上手くやっていけない泥人形なんだな、って思います。

 私が面白いと思った作品が評価されない、私がいいと思ったものが足蹴にされる、そんな世界って何の価値があるんですかね。どうせ私が作り上げても見向きもされないんです。どうせ私が発信しても評価されないんです。

 醜く肥大した自己顕示欲が服を着て歩いているようなものですから、そんなもの評価を受けなくて当たり前です。

 

 さてさて、愚痴っぽくなっちゃいましたね。周りの方々がどんどん結果を出しているので焦っているのかもしれません。まあ、今回の作品が何も結果を残せなかったら行く末は決まってますから、今更足掻きようもないですね。吉と出るか凶と出るか、始まるのか終わるのか、ひとまずは6月の一次発表まで待ってみます。

 皆さんはどんどん先へ走ってくださいね。下水道からルサンチマンの眼差しで睥睨しますから。

 

ゲヘナより愛を込めて。