虚勢の銀貨

東村の日々の記録

盆に還らず

 ご無沙汰しています。

 皆さん、この殺人的暑さの中、如何お過ごしでしょうか。冷房、使ってくださいね。ただ、部屋の窓がワイヤー入りのものの場合は注意してください。室外が40℃近くになって、室内を18℃に設定していたりすると、その室内外の温度差でガラスが割れるみたいなので。

 あと、もしかしたらこの暑さで室外機がいかれるかもしれません。私の詳細を説明できるわけではありませんが、エアコンの室外機って一定の温度以上になると止まるみたいです。元々、10年前とかに製造されたものは、40℃以上や45℃以上になると止まるってストッパーがあるみたいです。10年前はこんな暑くなかったですからね。ただ、ヒートアイランドなのか、地球温暖化なのか、最近意味分からないくらい気温上がっていますから、室外機のオーバーワークで、というよりも普通に気温でダウンするみたいです。今の時期が時期だけにあれですが、もし室外機が止まるなんてことがあれば買い替えることをお勧めします。

 

 さて、ここ最近、嬉しくないことと、嬉しいことがありました。今回はそれについて書いていこうかなと思います。いつも後半が暗い感じになっているかな、と思うので今回は順番を変えてみます。

 

嬉しくなかったこと

 今回のお盆、褒められたことではないですが、私帰省したんです。不必要な人込みは避けて、人と会うときも屋外がほとんどでした。本来なら神戸の自宅に籠っているべきなんでしょうが、少し思うところもありましたので。

 

 以前ブログにも書きましたが、伯父が3月に亡くなったんですよね。癌でしたが、63歳の、早すぎるものでした。祖父母が二人とも74歳で亡くなっているんですが、それと比較してもまだまだ若かったな、と思います。私の両親は、父は多少体調がよくはないようですが、母は多分健康体です。でも、やっぱりいつ何があるか分からないじゃないですか。このご時世、それこそ新型コロナに罹患して亡くなりでもしたら死に目に会えないどころか、対面するのは遺骨になってから、とも聞きます。関東と関西の距離がある以上、頻繁に顔を見せられない親不孝者ですが、だからこそこういう状況でもせめて親の顔は見ておきたいな、と思ったんです。

 

 親は元気でした。ただ、実家に住んでいる弟との仲が険悪なようで、朝の言い争いで目が覚めることもありました。私の実家ね、離婚しているんです。私が高校生のあたりでしょうか。そのあたりから両親の不仲は顕著になってきました。

 頭脳労働派の私と、肉体労働派の弟のことで揉めているのを何度も見たことがあります。父は高卒で働いて、今一定の地位にいますから「勉強ができなくても社会でやっていける」と言うのに対して、母は「今の時代、良し悪しはともかく大学までは出ておくべき」というタイプでした。どちらの主張することもよく分かります。

 弟は運動神経がよくて、バスケをやっていたんですが、何かの選抜に選ばれたこともあるみたいです。そのまま進めればよかったのですが、不良趣味に走ってしまった時期があり、夜遊びや未成年喫煙もありました。そういうところを種に家庭内不和が広がっていったのかな、とも思います。

 勿論、全ての原因が弟ではなく、私は私で家族を繋ぎとめる努力もせず、我関せずでしたから同罪ですね。弟の高校卒業を待って、かろうじて保っていた家族の形は瓦解しました。両親は離婚し、私は母に、弟は父についていきました。ですが、弟は弟で父と二人で生活するのにそりが合わず、今は母の方へ転がり込んでいます。揉めている原因は、弟の止まない夜遊びと生活費が原因のようでした。

 私は私で、弟と腹を割って話すこともせず、やっぱり殻に籠っていましたから、駄目ですね。多分一番の戦犯は私でしょう。

 そういうのを見ているとね、「もう私の家族は家族として成り立たなくなったんだな」と強く感じてしまいました。前は、それこそ私が小学生の頃はまだ、仲がいいとまではいかずとも家族だったのに、どうしてこうなってしまったんでしょうね。

 

 私、そんな家族を見ているのが嫌で、夜中に一人で自転車に乗っていたんです。離婚を機に母について家を出ましたが、同じ市内に住んでいますので、かつての実家まですぐに行けます。父が住んでいるはずなんですけどね、やはり、といいますか、なけなしの小さな庭は荒れ切って、柵を見まがうほど大きな雑草だか植木だかが繁茂していましたし、窓から見えるカーテンは黒く汚れていましたし、外壁も周りの家に比べてくすんで汚れた色をしていました。正直、見るに堪えなかったです。だからすぐその場から逃げました。

 その家には幼稚園年中の頃い越しましたから、家の周りいろんなところで遊んだんです。その思いで巡りじゃありませんが、知っているところ、記憶にある場所を巡りました。昔、涼をとったスーパーは倉庫になっていました。走り回った広場は老人ホームになっていました。ザリガニ釣りをした沼は駐車場に、その地域で大きかった家は取り壊され、昔通った路地は潰されて、日曜日には週刊少年サンデーが並ぶ個人商店は廃業していました。四年間、私が神戸にいる間に、そんなに変わってしまったんです。もしかしたらもっと前からそうなっていたのかもしれません。でも、今回初めて気が付きました。

 もうね、私が育った土地ではなかったんです。あの頃の風景はもう見られないんです。私の育った町は私の知る町ではなくなってしまったんです。

 ここに来てやっと気付いたんです。私、帰省したいとは思いますけど、今の実家に帰りたかったわけじゃあないんだなって。あの頃の、まだ擦れていない、家族も家族で、私の知る町並みのあの頃に帰りたかったんです。それがもう駄目になっちゃいました。これから何処に帰ればいいんでしょうか。

 

 

 

嬉しかったこと

 対して嬉しかったことですが、お盆でも何でもないんです。端的に、このブログを褒められたことです。後輩もブログを書いているんですが、(もう完全に読者数で負けていますが)私のブログを参考に見出しを付けたと言ってくれたり、小説みたいで読みやすいって言ってくれたりするんですよね。他にもTwitterのフォロワーさんから「文才もさることながら、内容が身に染みて引き込まれる」なんて言われたこともありました。

 この場を借りてお礼申し上げます。あなたたちの一言があったから今日も私は記事を書けています。ありがとうございます。

 

 いつも通り辛気臭いものになってしまいましたね、すみません。

 褒めてもらえて嬉しかったから、私もできるだけ褒めようと思います。私に褒められて嬉しいかはさておき、そんなに多くできるものじゃないですかね。

 

 しばらくはこの、あまりに暴力的な酷暑は続くみたいですが、皆さんちゃんと水分補給してエアコンつけて快適に過ごしてくださいね。エアコンの電気代より、熱中症で倒れた時の病院代の方が高いですよ。

 それでは。

 

ゲヘナより愛を込めて。