虚勢の銀貨

東村の日々の記録

あの日見つけた知らない場所へ

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    ご無沙汰しています。一応生きております。

 この土日から水曜日にかけて、一旦帰省しておりました。ちょっとしたごたごたがありましたので。

 私、神戸に来るときに、荷物はほとんど実家に置いてきたんですよね。本はオールタイムベストの数冊を除いて、自宅の押し入れに入っていますし、服なんかも持ってきたのは必要最低限で、新生活スタート!みたいな感じで引っ越したんです。

 だから、じゃないですけど、実家には昔の私の思い出が塩漬けされて置いてあるんです。幼い頃の、親が残しているものもありますし、私が趣味で集めたものもあります。CDなんて顕著な例ですね。昔は今ほどサブスクリプションタイプの音楽配信サービスもなかったですし、レンタルショップで借りてMDに落とすなんてことをしていましたね。私は好きなアーティストは対価を払って応援したいので、好きな歌手のCDはできるだけ買うようにしていました。CDプレイヤーもありましたけど、もっぱらウォークマンに入れて聴いていました。ちなみに今でもウォークマン派です。

 

 私が買って集めた中で一番多いのが、奥華子でした。他の歌手やグループよりリリース頻度が低いっていうのもあるんですが、中高生の頃は奥華子に心酔していたってのもあります。失礼な話ですが、当時の奥華子はそこまでメジャーでもなく、知られている曲は『ガーネット』くらいでした。『時をかける少女』のメインテーマですね。だから、なんていうんでしょう、CDを買うことで「私が応援している」なんて思いあがった感じがあったんですよね。でも好きなのは事実ですよ。

 奥華子のアルバムは、ベストアルバムの「My Letters」までは全部初回限定版で買ってましたし、多分今でも口ずさめます。特に「僕の知らない君」「さよならの記憶」「初恋」「帰っておいで」「透明傘」「鏡」あたりなんか特に好きですね。好きな曲を挙げたらキリがないんですけど。全部いい曲なので聴いてみてください。

 

 奥華子の代表曲の「ガーネット」のカップリング曲で「変わらないもの」っていうのがあるんです。これも『時をかける少女』の劇中で流れるんです。タイトル通り、「変わらないものを探していたけど、もう手元を離れてしまった」って歌詞なんです。共感、ではないんですけど、この言い分とってもよく分かるんですよね。変わっていくことって残酷なことじゃないですか。現状維持バイアスじゃないですけど、やっぱり幸福な時や大切なものは変わってほしくないですよね。

 私、久し振りに高校や中学の友人と会うと「やっぱり変わらないな」って言われるんです。周りはみんな大人になって、仕事や家庭でいろんなものを抱えますよね。その中で図らずも大なり小なり変わっていくんです。きっとそれは成長と呼ばれるものなんでしょう。大人は夢を見ない。大人は理不尽に耐えられる。大人は忖度ができる。なによりも、大人は現実を見据えられる。こういうことをきっと「成長する」「大人になる」っていうんでしょうね。

 昔みたいに、ファミレスでポテトとドリンクバーだけで数時間居座ったり、意味もなくオールしてみたり、公園でだべってみたり、そんなことを「無駄」と切り捨てられるのが大人なんでしょう。変わっていくってことなんでしょう。

 でも、それじゃああまりに寂しいじゃないですか。「あの頃は若かった」と切り捨てるには、そんな思い出はあまりに大切すぎるじゃないですか。だから私はできるだけ、一緒に年を重ねてきた友人達の前では変わりたくないんです。それもきっと、私の単なるエゴで、周りからは「もっと大人になれよ」って思われているかもしれません。

 

 大人、ってそんなにいいものですかね。大人こそ辛いことが多いじゃないですか。多すぎると言ってもいいくらいです。その中で、夢を見ないで現実を見続けて、そりゃ疲弊しちゃいますよ。疲れた、って休める場所が必要ですよ。私がそんな場所にありたいなんて傲慢なことは言えませんが、私の姿勢を見て、腰を落ち着けて昔に戻れる人が一人でもいたらいいなって思います。

 今の世間を見ると、誰もがいがみ合って、経済的に厳しい世の中で各々生き残りに必死で、他人を蹴落とすことを厭わなく見えます。パンとサーカス、パンもろくに手に入らず、サーカスは規制されて、ネットでは他人を叩くものが跋扈します。せっかく今までの環境が変わるいい機会なのに、結局のところほとんど変わらず事態は好転することはないんでしょうか。

 新型コロナの影響で多分皆さん今まで以上に一人の時間や家族の時間が増えたと思います。こんな機会にこそ、一度昔の自分に立ち返っては如何でしょうか。原点でもいいですし、出発地点でもいいですし、あの頃変わりたくなかったもの、変えてほくなかったものを見つめなおしてもいいんじゃないでしょうか。

 

 なんでしょう、うまく言いたいことがまとまらず、すみません。

 これからも私は私のまま、変わらないでいこうと思います。稚拙な泥人形は、今日も泥濘を這いつくばっています。

 

 ゲヘナより愛を込めて。