虚勢の銀貨

東村の日々の記録

過去作

青い血、赤い鱗

厳しい冬に人は飢え、しかしそれは人魚にも降りかかる災難であることに変わりはなかった。重い鉛色をした海と、灰神楽の方が美しいとさえ言える濁った空は彼女の母が死んでから今日まで、延々と続いている。 「人間の住む街は美しいものだよ」 彼女の脳裏に…

蛇の足

「後悔ですか? してますよ、勿論。俺だってあれだけのことをして、何も感じない程のサイコ野郎じゃあないですよ」 私が取材をした被告人はそう答えた。言葉とは裏腹に、彼の顔は、さながらテスト勉強を怠けた学生のようにしか映らない。 「あの瞬間に戻れる…

ヒース畑の笛吹き男

村に吹き込む風はいつになく冷たい。 まだ秋もこれからだというのに、今日は一段と冷えていた。野菜の収穫量は春から軒並み去年までの平均を下回り、村人たちは貯蔵していた乾物や、僅かな貯えを切り崩して生きている。 少ないながらも収穫できた野菜や、野…

死にたがりの人魚姫

「私、イリーナはその日も海の中で沈んだ本を読んでいた。 人間の言葉で書かれた本。人間の言葉――そう、つまり文字が読めるのは海の中で私だけ。誰に習ったわけでもないけれど、気が付いたら自然と判っていた。人魚や魚、カニやタコ達が使う海藻や貝殻の文字…

流木の指

「結婚するんだ、私。だからもう、決めたことだから」 西陽が差し込む喫茶店の窓際。外向きに据えられたカウンターテーブルには、今時珍しい角砂糖の入った小瓶。彩奈の指がカップを離れる。店内に流れるボサノバは緩いカーブを描いて俺の鼓膜を避けていく。…