虚勢の銀貨

東村の日々の記録

ロング・グッド・バイ

 お久しぶりです。TLの投稿でも触れましたが、この週末、と言いますか先週末に父方の伯父の葬儀がありました。癌でした。詳しくは聞いていませんが、顔の鼻水腺?のあたりに癌ができて、発見されたときにはステージ4で、手術で切除しても肝臓と腰い転移して手の施しようがなかったようです。

 大本の癌が発見されたのが2019年夏だったみたいです。私の父とゴルフをしていて、風邪でも鼻炎でもないのに鼻水が出ておかしいと思って検査しに行ったら、、、という感じのようです。63歳でした。平均寿命から考えても、亡くなるには早かったなと思います。初孫もそろそろ中学生、といった頃でした。

 

 私個人としては、父方の伯父と然したる思い出があるわけではありません。伯父、もとい従兄弟一家ではありますが、一緒に旅行したり何処かへ出かけたりと行ったこともなく、年明けの挨拶に行くくらいか、祖母の家に行ったときにいれば、というくらいです。その祖母も私が大学一年の時に亡くなったので、交流は多くはなかったです。でも、言葉も話せない赤子の頃の私を知っている人がまた一人亡くなってしまったな、それが率直な感想です。やはり私は単なる泥人形ですから、横で従兄弟が号泣していても私は何ともなかったです。いつも通り乾いた目で床を眺めているたけでした。

 

 少しだけ話はそれますが、3月って日本では決算期にあたりますよね。売り上げやら請求書やらを取りまとめて、その年の数字を固めるじゃないですか。営業やコンサルの人は大忙しの月だと思います。

 私もやっぱりそれなりにそこそこ大きい会社を担当していますから、結構な量を処理しているんです。うちの会社、社員のクラスを1から7のランクに分けているんです。1が取締役レベル、7が新入社員レベルです。私今6なんです。新卒入社から4年間がどんな功績をあげても、どんな顧客を相手しても5に上がることはありません。まあ仕方ないですね。

 私が今担当している顧客、昨年までランク2の人が担当していたところなんです。ランク2の大先輩が方々と連携して、部長や役員を連れて客先とやり取りをして、で何とか回して年間云億って取引していたところなんです。

 その人が昨年9月に人事異動になって、手が空いているのが私しかいなくて、私に担当が下りてきました。ランク2にもなると年収1000万を超えるはずです。それが新卒4年目の私が担当するんです。1年目2年目とろくに引き継ぎもされていない顧客を担当して、やっとちゃんとしたメンターが付いて、かと思えばいきなり大きすぎる顧客を担当させられて、となっています。

 

 そんな状態ですから、3月の退勤時間は平均して21時を超えています。朝10時頃まで(たまに11時くらい)に出勤して、21時(遅いときには23時半くらいまで)なんやらかんやらやってなんとか回そうとは思っています。

 今回の葬儀に伴って、実家に帰ったんです。急でしたから通夜と告別式に出席できるだけの日程で帰りました。たった二日です。実家に帰っても、真夜中に仕事していました。親が寝た後に家のwifiVPNを使って社内のファイルサーバにアクセスして見積もりの作成やら請求書の発行処理やらやっていました。

 3月とは言え、身内の葬儀があったとしても休むことなんてできないんですよね。弊社や取引先にとっては、私の身内が何人死のうが関係なくて、決算の数字を固めることの方が遥かに大切なんでしょう。別に特別対応してくれだとかそんなんじゃないんです。多分、企業という体制を組んでいる以上、それが正しい形なんでしょう。ともすれば、それまでに余裕を作れなかった私が使えないくそったれなだけでしょう。でも、なんて言うんでしょう。実際こういう状況を目の当たりにすると、仮に私の両親や兄弟、それこそ一つ屋根の下の家族が亡くなっても状況は変わらないんだろうな、って思います。

 正直なところ、どうしていいか分からないです。きっと、社会人として身内の死よりも自社や取引先に不利益を出さないことの方が遥かに大切なんでしょう。日々の仕事を、どんな事情があるにせよ止めずに進めることが必要なのでしょう。来月から社会人4年目になるにあたって、多少は使える駒になっているかな、と思っていましたが甘かったようです。もっと生活の全て、身内も切り捨てて人生の全てをゴミ箱に捨てて自社へ奉仕しないといけないんでしょう。きっとそれが正しい形なんです。

 

 

 葬儀に行くと、やっぱりしばらく会っていない親戚にたくさん会いました。昔の私を知っている人達です。そんな人達からすれば、26歳の私なんてまだまだ子供みたいなものです。「お久し振りです」なんて声かけると「わざわざありがとうね」「今神戸で暮らしてるんだって?すごいね」と口々に言ってくれました。足があるうちには身内の冠婚葬祭に出席するなんて当たり前じゃないですか。にもかかわらず、そう優しく言ってくれるんです。自分達の方が大変なはずなのに、一人神戸でのうのうと暮らしていた私を慮ってくれたんです。

 そんなものに触れたあとに、普段の生活に戻らないといけないんです。

 どれだけの仕事を回そうとも、どれだけの案件を受注しようとも、「ありがとう」も「すごい」もない生活に戻らないといけないんです。「仕事なんだからきちんとやって当たり前」「営業なんだから数字を上げて当たり前」そんな生活です。できて当たり前、できなければ徹底糾弾。働けなければ生きる価値はない。

 企業に飼われる家畜として自覚と覚悟が足りなかったです。やりたいことのすべてを諦めて、私の人生は私のためではなく、企業と社会のためにあるってことを忘れていました。生きる泥人形ですから、酷使していただけるだけ幸せってものじゃないですか。

 いやしくも、周りの人並みに趣味を持ったり、オンとオフをはっきりさせたり、何かを楽しんだりできると思っていました。でもダメなんですよね。だって社会人だから。与えられた仕事に感謝して、働ける喜びを噛みしめながら日々を過ごしていかないといけなかったんですよね。生まれて20年ちょっと楽しんだ分、残りの60年は何もかもを捨てないといけなかったんですよね。どうしていままで気付けなかったんでしょう。

 

 だから、しばらくツイッターからもブログからも離れます。

 ごめんなさい。

 

 皆さんの日々に幸多からんことを願っています。

 

ゲヘナより愛を込めて。