虚勢の銀貨

東村の日々の記録

針の折れたガンガゼ

 少し前の記事で感情が平坦になってきた旨を書いたと思います。

gleich-sterbe.hatenablog.com

 よくよく考えてみれば、これ、自然発生的なことではなく私が意図してやっていたことなんですね。

 私、基本的に負の感情の方が圧倒的に大きいタイプの人間なんです。端的に言ってしまえば、「好き」よりも「嫌い」の数が桁二つくらい差があります。食べ物もさることながら、人の好き嫌い、主張の好き嫌い、思想の好き嫌いに振り幅が大きすぎるんでしょう。

 

 私の主張に反対する人が嫌いです。私を理解しない人が嫌いです。私が嫌いなものを好きな人が嫌いです。私に私以外を押し付ける人が嫌いです。

 

 学生時代は独りで生きている気になっていました。それなりの大学に入って、それなりのバイトをして、それなりに友人はいて、だからそれ以外のものは必要ないと思っていました。ステレオタイプな言い方をすれば、私は私の卑小な宇宙で生きていました。

 ここで何度も書いているように、社会に出るというのは私にとって完全な未知でした。なんとなしにイメージはできても、社会人になることが何を指すのか、自分の生活がどう変わっていくのかについて、具体的な何かを持てていたわけではありません。

 

 社会に出て、初めて感じたのは個人の弱さでした。私が別段能力が低く、会社に貢献できていないとかそういうことではなく(いや、そういう面も確かにありましたが)否が応でも我を通す人が極端に少ない、というのが私の印象です。

 「忖度」なんて言葉が一時期流行ったように、学生には学生の暗黙の了解があるように、社会人には社会人の不文律がありました。それがきっと、「和を乱さないこと」なんでしょう。絶大な能力を持つフリーランスの人でさえ、社会に出て仕事をするには集団で動くことが必要ですね。一人では社会を構築できませんし、経済は何かを代替して金銭を得る必要があります。コミュニティの大小はあれど、集団でないと活動できないのは事実です。

 その集団を円滑に、軋轢なく稼働させるために和を乱す不穏分子は排除する必要があるんでしょう。だから皆が皆、自分が排除される側に回らないよう、法令を遵守して周りの人に忖度して、自分を防衛しているんです。こんな単純なことに気付くまで、二年も要してしまいました。

 

 私は昔からよく「お前は灰汁が強すぎる」と言われていました。それを個性と取るか叱責と取るか、私は前者でした。周りに多少迷惑をかけたところで私の個性を求めてる人がいるんだからいいだろう、と割り切っていました。多分、これが間違っていたんでしょうね。久し振りに会う友人や先輩後輩に「丸くなった」と言われるのは、過去の嘲笑なのでしょう。「生きていたんだな」と言われるのは、いつ刺されてもおかしくないくらい傍若無人な振る舞いをしていた証左なのでしょう。

 

 負の感情が大きいから、会社では自分の感情を出さないようにしていました。昼食や飲み会で同じ席になった人とは、適当に相槌を打っているか、当たり障りなく相手が聞ける話だけしていました。私は芸能系なんか死ねばいいと思っていますし、スポーツは見るよりやりたい派です。そして私が興味のある範囲は基本的に回りの誰も目を向けないようなことです。だから、下世話ば異性の話ばかりみたいな、クソの役にも立たない飲み会に仕上がることもしばしばです。

 この前、中途で入社してきた方と、そのメンターである大先輩と三人で飲みに行きました。飲み会や食事の席で何度か話してはいましたが上記のような調子なので、私はとんでもない遊び人だと思われていました。実際、異性の話なんかより本の話とか、最近見た映画とか、お互いを殴り合うような議論とか、そういうことの方が私は楽しいんです。ただやっぱりどうしてもそれと私が結びつかないようで、「普段本とか読まないでしょ」って話を振られました。それにも激昂するほど若くもないですし、適当に流していました。

 

 私が感情を出すと周りに迷惑が掛かりますから、極力平坦に、苦労を苦労と言わず、誰に影響を与えるつもりもなくここまできたつもりです。

 でも、やっぱり駄目ですね。最近上司が優しくなってきました。多分、嫌な感情が顔に出ていたんでしょう。ツイッターにつぶやいた何気ない一言が友人を傷付けることもありました。平坦で毒気なく、良くも悪くもつまらない性格をしていればもう少しくらいは人間様の真似ができていたんでしょうか。

 

 ゲヘナより哀を込めて。