虚勢の銀貨

東村の日々の記録

やりたいことはたくさんあったのに

 きっと、タスクは人の感覚を鈍麻させるんですね。

 一つのことに注視しすぎるあまり、他のことに意識が回らなくなるのは本当のことなんだろう、とここ最近で経験しました。

 

 以前、私は頭がぶっ壊れているのを誤魔化すために、ある程度定常発達の方々の真似ができるような薬を飲んでいました。簡単に説明すると、私の頭の初期不良は、ドーパミンというホルモンが上手く機能していないことに起因します。

 私が処方された薬は、この不具合を調整して定常発達の方々と変わらない状態を作り出そうとするものです。言うならば下のような感じです。

 

・通常時:風に流されて飛んでいく風船。

・服薬時:ダクトの中を飛んでいく風船。

 

 服薬していると、定常発達のように指向性のあるボールのようにとまではいきませんが、ダクトで囲われているからそれなりに一定方向には進めます。だから、仕事のように向くべき方向が決まっているときにはそれなりに効果を発揮します。ミスも減りましたし、忘れ物も断然少なくなりました。

 ですが、やはり泥人形が人間様の真似をできる程度には強烈に効く薬ですので副作用は強かったです。薬になれるまでは、味覚がなくなりましたし、慢性的な頭痛と喉の渇きがありました。食欲なんて、「そんなものが存在するのか?」ってレベルでしたから、服薬開始から身体が慣れるまでの一週間、合計摂取カロリーは2000kcalいっていなかったです。

 

 でも、数ある作用結果の中で一番辛かったのは、当時付き合っていた恋人に「薬を飲む前の方が優しかった」と言われたことですね。知らず知らずのうちに性格が変わっていたんです。薬で人格を変えるなんて、フィクションの中だけだと思っていました。現実に起きたとしても、麻薬のような違法薬物を手に入れるために異常化するだけ、そう思っていました。

 どうやら甘かったようです。恋人はそれまで過去に渡って私のことを支えてくれて、下手をすれば親よりも理解してくれていました。そんな人が言うのですから、恐らく間違いなく変わっていたんでしょう。

 仕事みたいに、何かに直線的に向き合うことはできるようになっても、細かいところまで気を回すことはできなくなっていました。だから、ふとしたことも感覚遮断と言いますか、無意識下での無視と言いますか、そちらを向くことができなくなっていたんです。

 「髪切ったね」「カバン変えたんだ」「調子悪そうだね」「お腹空いていない?」

 そんな言葉すら、恐らくあの当時の私からは出てこなかったんでしょう。デートをするとなると、その目的地に着くことこそが最重要課題となり、それ以外のことは取るに足らない雑事になっていました。本来は逆であるべきなのに。

 

 さて、閑話休題、今回の本旨に入ります。

 何故、過去のことを話したかと言いますと、これと同じような状態になりつつある自分に最近気付いたからです。前回のブログ記事の件もあり、このところ割といっぱいいっぱいになっていた節があります。

gleich-sterbe.hatenablog.com

 

 土日を挟んで、意識して肩の力を抜いて、48時間、昔の自分が何をしたかったのかを思い直してみました。

 現在の休日は、昼過ぎまで寝て、バイクをいじるかカフェでコーヒーを飲んで、「明日は仕事か……」と布団に倒れ込むだけの味気ない生活です。でも昔の私は違いました。

 クレイアートもしたかったし、ガラス工芸もしたかった。温泉にも行きたかったし、小旅行にも、鉄道旅行にも行きたかった。科学新聞も取りたかったし、馴染みの店も作りたかった。そして何より、本を読みたかった。小説を書きたかった。

 今の生活では、そのどれもが難しいんです。

 きっと他の人ならつつがなく行えるのでしょう。趣味として毎日時間を作れるのでしょう。自分と向き合って、公私の区別をつけて生きていけるのでしょう。

 

 多分、今の私には昔のように、綺麗な、少なくとも自分では綺麗と思える文章は書けないです。端的で味気なく、必要なことしか盛り込まれていないパッケージ化された画一的な文章しか書けないでしょう。ここまで劣化するまで気付けませんでした。手遅れになるまで気付けませんでした。

 私が能無しだから、自分を客観的に見ることも、過去と比較することもできませんでした。

 私にはやりたいことがたくさんあったはずなのに、いつの間にか自分で目隠ししていました。終わった時間は、もう戻ってこないのにね。

 

 

ゲヘナより哀を込めて。