虚勢の銀貨

東村の日々の記録

ビバ!人としての命日!

 昨日、退職の意思があることを上長へ話してきました。

 これで私の新卒のカードはなくなったので、日本の労働市場では死んだも同然ですてへぺろ

 

 さて、その原因ですが、実際のところいろいろあります。

 「二年で一人前の研修」とは名ばかりの、入社半年で独り立ちを余儀なくされる体制。社員は前年比で3%しか増えないのに、7%成長を出すタスク量。上の人間と下の人間の思想の乖離。圧倒的人手不足。etcetc.

 まあ愚痴愚痴言っていても何も始まりませんが、一番の理由は、やはり私の頭がぶっ壊れていることでした。

 私は専門職ではなく総合職として採用されました。ですので、自分の得意分野にばかり尖っていればいい、というものではありません。他の人と同じく、ある程度のことを万遍なくこなせる常識的なスキルが求められます。

 この「ある程度常識的なこと」が致命的にできませんでした。書類は誤植の嵐、製品販売時の粗利の計算ミスどころか、販社から仕入れた際の価格の転記ミス。スケジュール管理とタスクの分散。などなど、一般的には一年やそこらがあれば慣れるかツールで代用できることが、私はいつまで経ってもできません。

 

 もちろん、普段手を抜いて一切のチェックなしに提出する、なんてことはありません。それどころか自分では何度もチェックし、何度も確かめた上で提出しています。それでミスを見落としていますから、目も当てられません。

 多分、定常発達の方は何を言っているか分からないでしょう。「ミスを失くすためのチェックだから、ミスが残っていたらチェックは成立していないだろう」みたいに。それか、理解のありがちな方はこう言うかもしれません。「普通の人もミスするんだから、完璧を求めすぎてる」もしくは「ツールややり方を変えたら、慣れたら、経験を積んだら改善するよ」なんて。

 甘えでもなんでもなく、私と同じ型で頭が壊れた人は、定常の方々が想像するような改善は、まず望めません。同じ診断を受けていても得手不得手は様々ですが、私が良く使う表現として「右手左手ではなく、左手が二本生えてる右利き」のような感じです。ある程度のことなら、勿論なんとなしにはできますが、特定のことになると途端に能率も成果も落ちます。そんなときは「右から生えた左手で、普通の人と同じ右腕の動きを求められている」感じです。だから、変なところでミスをしますし、定常者の賛同を得られにくいのです。何せみんな右に生える左手なんて存在しないと思ってるんですから。

 

 さてさて、そんなわけで、仕事中、私は数えきれないミスを犯しました。まだ入社して一年半、部署の人と比較しても仕事が多いわけでも、難しいわけでもありません。同期と比較しても、私の配属先が特別仕事量の多いわけではありません。むしろ、負荷の絶対量自体は少なかったと思います。でも、それでもダメでした。私はやはり人間らしく生きられないみたいです。

 

 「なんでもっとちゃんとできないの?」「やらなきゃいけないことになんで注力できないの?」「人として当たり前のことがなんでできないの?」

 今まで、小学生の頃から嫌と言うほど言われていました。大学までは多分、そんなに問題になりませんでした。自慢ではありませんが、小中高と勉強はそれなりにできていましたから、提出物が遅れても、遅刻が頻発してもある程度は看過されていました。大学では、成績が良くはありませんでしたが、独立独歩で生活できていましたから、「自分の責任で起きたミス」と割り切っていくことができました。

 それが破綻し始めたのが去年の四月、いいえ、元々破綻していたのかもしれません。それが見え始めたのが社会人として就職してからでした。研修期間の、学校の宿題と変わらないような課題の提出に遅れ、遅刻し、同期に迷惑をかけるという始末です。そんな状態ですから、部署に配属されてからはより顕著になっていきます。見積の提出は遅れ、提案書に誤字脱字は乱舞し、上司や先輩に迷惑をかけっ放しです。加えて、実務となると、弊社はBtoB企業ですから、会社の評判に関わっていきますね。時としては莫大な損失を出しかねない、私のミスが原因で取引先を失うこともあり得るんです。

 実際に、ここ半年の間い一度、顧客側の数千万クラスの損害になりかねないことをやらかしました。その際も上司や先輩に何度も何度も助けてもらいながら、顧客にも何度も頭を下げてなんとか別の方法で最悪のケースは避けられました。顧客に対しては、それでいても100万強の負担を強いてしまう結果になりましたが。

 

 そんなことを経て、私はそろそろ限界だと感じていました。同じようなミスをすることにも、上司や先輩に迷惑をかけることにも、同期と比較されることにも、何より仕事ができず無能というレッテルを貼られた自分を責める自分にも、なんだか疲れてしまいました。

 

 私なりに、人非人なりに、人間様の模倣をしようと善処しましたが、やはりどうしても人として、人間として足りないものがあるみたいです。人として当たり前のことができないんですから、人として成立できていないんですよね。人未満は人の社会には馴染めません。日本語を理解して見聞き話せる犬が、日本の社会構成員として活躍できるか、と言ったらきっとそうではないでしょう。

 

 でも、自分でも驚くくらいに悲観していないんです。

 今まで支援してくれた方々の期待を裏切り、今後の人生、会社員として今以上の成功や職場が望めないにも関わらず、ある種清々しい気分です。

 もう人間として生きなくていい、人間にならなくていい、堂々と人非人のタグを付けて歩いていける。行く先は泥濘の海かも、茨の壁かもしれません。今このときは単なる自暴自棄に浸って、現実が見据えられていないだけってことも理解できています。

 でも私、占いで「26歳で死ぬ」と言われていますから、別に今後の人生がどうなろうと別にいいんです。どれだけ穏やかに、どれだけ好きなことをして余生を過ごせるかだけを気にして生きていきます。

 なんだか疲れてしまいました。人でいられる人は、そのまま人であってください。人でないと、人の社会は生きづらいですから。皆さんの人生には幸が多いことを祈っています。

 

ゲヘナより愛を込めて。