虚勢の銀貨

東村の日々の記録

大人になっても人生はつらい?

 社会人になって得たものってなんですかね。

 多分、このブログを読まれてる皆さんは社会人がほとんどでしょう。学生の方はもういないんじゃないかな。少なくとも、私のツイッターからリンクを飛んでくる人はみんな社会人、というよりは学生ではないですよね。サラリーマンもいれば、主婦(主夫)の方もいて、フリーターの方もいて、まちまちでしょう。

 

 皆さんの社会人、もとい高校や大学といった庇護される領域を巣立ったあとに出会った世界、社会なり職場なり色々あると思いますが、そこで得たものってなんでしょう。

 私はね、諦め方だと思うんです。割り切り、納得、溜飲の下げ方、なんでもいいですが、結局のところ目指した何かを諦める方法を最も深く身に付けたんじゃないかなって思います。例えば、就職する前、私は【定時に出社して、残業しても一時間くらいで、帰りにカフェ寄って本読んで原稿やって、休日には少し遠出して、年間50万でも貯金して】なんて生活を夢見ていました。入社してひと月で悟りました、こんな生活は無理だって。

 まず給料、額面が20万あったとして諸々の税金や死にぞこないを養うために強制の年金、保険等を抜くと15万少々。そこに水道光熱費、洗剤や常備薬といった日用品、仕事で使うものを買って、食費やら飲み会代やら何かとかかって、平日遊べない分休日に遊ぶとまた金がかかって、残るなんて微々たるものですよね。病気やら故障やらで突発的に何かが必要にもなりますし、まあ何が言いたいかって、毎日カフェに行ってコーヒー飲んでくつろぐほどの資金的余裕はないんですよね。一番時間に余裕がある一年目なんて特に。

 しかも最近は朝起きて仕事に行って、帰ってきて床で横になれば気付いたら朝です。私の家、ロフトに布団引いてますからそこまで上がるミッションがあるんですよね。正直そこまで体力ないです。だから、正に今日も床で起きました。

 そこに付随するもの、ではないですが、やっぱり時間がないですよね。後輩には「時間は作るもんだよ。多少無理してでも」なんてこれ見よがしに言っていますが、当の私はそれを捻出できずにいます。やりたいことがあっても、圧倒的に時間が足りないと感じています。例えば、旅行に行きたくても、まず一週間やそこらなんて無理でしょう。年末年始やお盆は実家に帰ったり墓参りに行ったりですし、GWも高くて行けたもんじゃないです。企業によってはリフレッシュ休暇なんて制度もありますよね。年間休日と有給とは別に何日間か休める制度。私のところにもあります。ありますけど、取れるのは入社10年目とか20年目とか、所謂節目の人だけです。要するに「10年間はリフレッシュなんて必要ない。10年間馬車馬のように働け」ってことなんでしょう。曲解し過ぎですかね。

 私の会社、有給は取れはしますが「その分の調整や責任は自分で取れよ」ってスタンスですから、今回のお盆の帰省でも会社用のPCを持って帰りました。別に実家でゴリゴリ仕事をするわけでもないですし、実際今回緊急の用件は入らなかったんですが、持っていないと何かあったんじゃないか、と怖くなります。リフレッシュ休暇の人もそんな感じです。リフレッシュ休暇中にメールを出しても返ってきますもん。家や旅行先でPC開いてるんです。何のためのリフレッシュなのか。

 

 休みだけじゃなく、きっと今の社会人、社畜、企業戦士(笑)も入社前は何かしら漠然としたイメージやビジョン、目標はあったでしょう。何歳までは結婚するとか、何歳までには家を建てるとか、最近でしたら何歳までには海外赴任を経験するとか、何歳でいくらの年収までいくとか、そんなものです。でも、それを妥協せずに達成できた人って、達成できたものが一つでもある人ってどれだけいるんでしょうか。勿論、入社前の想像なんて希望的観測に基づいた虚妄と大差ないですし、実際現実を知ってから下方修正することだってあるでしょう。職場との往復で出会いがない、思った以上に給料は上がらない、人事希望がほとんど通らない、そんなものはごまんとあります。そういうときには人は諦めるんでしょう。「こんな目標を立てた俺/私が無謀だった。現実は辛くて厳しいからもう少し”現実的な”目標にしよう」みたいな感じで。

 

 だからね、私は今働いている人達が、社会に出るにあたって一番身に付けたスキルは「諦める方法」だと思っています。「そんなに休みは取れない」「そんな無駄遣いする余裕はない」「そんなことは時間の無駄」「そんなことは現実的にありえない」なんて、いろんな理由を付けて諦める方法を確立していきますよね。かく言う私もそうです。

 今回のお盆、楽しかったんですよ。バイクで神戸から埼玉まで帰って、恩師が開催する哲学カフェに参加して、旧友と会って、ゲストハウスの人とたくさん喋って、ずっと行きたかった廃駅に行って、とっても楽しかったんです。土曜日の夜中に神戸に戻ってきましたけど、そうするとやっぱり寂しいんですよね。いや違うな、なんて言うんでしょう、寂しさも混ざって、同時に辛くなるんですよね。だって、もうあんなに長い間バイクに乗っていろんなところ回ってってできないじゃないですか。夏の間にあんなに長い休みってもう取れないなじゃないですか。私がこれからしなきゃいけないのは、また毎朝起きて、会社に行って、したくもない仕事で日中を浪費して、神経擦り減らして、自分が悪くないことで謝って、客に振り回されて、家に帰れば倒れ込むように寝て、次の日の仕事に備えて、せっかくの日曜日でも「明日仕事だから」とセーブして、そんな生活なんですよね。もうそういう生活だってこと、きっとどこかで諦めているんです。「社会人だから」「生活があるから」「親に面倒かけられないから」「周りはちゃんとやってるから」「職場の人に迷惑かけるから」、だから私がやりたいことなんて二の次三の次にして、「コーヒー飲んで煙草吸ってれば大丈夫」と誤魔化しながら、まともな人間様のフリを続けなきゃいけないんです。

 

 笑っちゃいますよね。私が今生きてるのは私の人生のはずなのに、私ではなく他の人間様に気を使って生きているんですよ。職場で一日を消費するのに、何週間も先の、たった40時間を楽しみにするしかないんです。

 そろそろ頃合いなんですかねえ。

 

ゲヘナより哀を込めて。