虚勢の銀貨

東村の日々の記録

煙草の煙に紛れ誤魔化す溜息

 「緩慢な自死」という言葉がありますね。食事を摂らなかったり、身体に悪いと知りながらそれをすることで健康状態を害したり。積極的に自死を選ぶのではなく、どちらかと言えば「生きることを手放す」に近いのかなって感じています。

 

 この言葉、さらっと調べた限りだとそもそもは独り身でご高齢な方々が段々と生きる気力を失くしていって、みたいなニュアンスなんですね。ですが、最近健康に目を向けず自堕落な生活や暴飲暴食をする人に対して揶揄のように使うケースもい増えてきていますね。私がよく耳にするのは喫煙に対しての苦言で、です。今回はその喫煙、煙草について書いていきましょうか。

 

 以前、どこかで書いたかもしれませんが、私も今では魔女裁判の如く糾弾される喫煙者です。煙草については良き友、というよりは泥人形が人間様の真似をするための杖、という感じです。分かりにくいですね。

 簡単に言えば、煙草を吸うおかげで日中なんとか活動できているって感じです。私ほら、頭ぶっ壊れてるじゃないですか。簡単に言えば頭の中は寝ていようが起きていようが雑念が渦巻いて常に稼働状態なんですね(これは薬を飲んでいた時期に確認済みです)。だからなのかいっつも寝不足状態で、起き抜けには中々眩暈が治まらないんです。高校生になった頃からですかね、多分起床後も脳の覚醒度合が低いんだと思います。朝起きても二時間くらいはぼーっとしてました。

 大学時代、鬱に片足を突っ込んだときから喫煙しておりますが(勿論20歳を超えてから)、起床後、喫煙前と喫煙後で脳の覚醒度はまるで違います。何というか、その日の一本目を吸うまでは水中にいるよな、浮力に晒されている感じです(これが眩暈の原因)。吸ったあとですと、喫煙経験者なら分かると思いますがヤニクラを食らいますよね(ニコチンを摂取したことで眩暈を起こす状態)。この時に、私は全身の血が重力を掴む感覚をおぼえるんです。それまで浮遊していたのが、しっかりと地面に足がつく感じです。

 種明かしをするとこれ、ニコチンの覚醒作用なんですよね。カフェインに似てニコチンには脳の伝達物質に介入して脳を覚醒させる作用があります。これによって半覚半眠の脳を無理やり叩き起こすんです。社会人になって、日中否応なく活動しなくてはいけない身としては、この効能は助かっています。

 「喫煙しているから、喫煙していない時の覚醒レベルが下がっているだけでは?」って意見があることは百も承知です。ですが、喫煙していようがいていまいが、私はニコチンとは別の部分で頭が終わってるので、そんな違いはないんです。言い訳にしか聞こえないんでしょうが。。。

 

 さて、やはり喫煙者ですから白い目で見られたり、健康の心配をされたりします。健康面に関しては、まだ露骨に「煙草が原因」と分かるような不具合は出てきていません。たまに湯船に浸かって潜っていられる時間を計っていますが、まだ一分半くらいはいけます。肺活量は極端に落ちたりはしていないです。

 気になる、というか気にしないといけないのはやはり周りの視線ですね。友人らで集まって居酒屋に行くと、喫煙者は私だけなんてことは良くあります。そんなときは必ず断りを入れるようにしていますし、嫌煙家や気管支が弱い人がいる場合は吸わない、もしくは席を外して吸うようにしています。悪臭と煙をまき散らすわけですから、それくらいの配慮はできなきゃいけません。で、吸えない状況にいても別に私はイライラしませんしね。

 禁断症状で怒りっぽくなる、なんてよく言われますが、これにも個人差があります。幸か不幸か、私の禁断症状は極端な眠気です。そりゃあ、覚醒しきらない頭を無理やり起こしているわけですから、それが切れれば機能低下するのは当然です。

 私が思うに、禁断症状でイライラする人は煙草が吸えない状況にイライラしているわけではないんですよ。きっとその人にとっては喫煙する=自分の生活に組み込まれた一息つく瞬間、なんですね。非喫煙者が缶コーヒーを飲みながら落ち着く、みたいな。ですからそうしたリフレッシュすることも叶わない状況に対してイライラするんじゃないかなって思います。

 

 喫煙者と煙草の話題になると結構な頻度で病的な嫌煙家についての話になります。煙草が臭いから嫌い、な嫌煙家については私も理解できます。喫煙者になるまでは私も嫌煙家でしたし。ただね、昨今のそういう人はいきすぎなんじゃないかなとも思うんです。

 Twitterで少し探してみれば山ほど出てきますが「タバコゼロの社会に」「タバコを違法にすればいい」「タバコを吸う意味が分からない」「喫煙者に人権はない」、こんな意見は山ほどあります。私が見た中で驚いたのは「喫煙可の喫茶店でコーヒーを飲んでいたら、後から来た客が喫煙者でタバコを吸い始めて雰囲気が台無しになった」といった投稿に同調するコメントが並んだことです。意味が分かりません。「温泉の脱衣所でくつろいでいたらおっさんが目の前でいきなり全裸になって気分を害した」くらい意味が分かりません。でもね、今の社会、この整合性も論理性も欠落した感情論むき出しの愚痴の方が支持されるんですよ。

 別に自分の喫煙を擁護するためにガタガタいうわけではありませんが、喫煙者は様々なリスクを知っていながら尚も続けています。嫌煙家、禁煙者も「こんなリスクがある」「これだけ節約できる」なんて言って説得させるより「私が嫌だから吸うな」って言った方が賢明じゃないですか? 受動喫煙云々にしても、煙草と排ガスがモクモクの時代を生きてきた世代は今元気に老害やってるじゃないですか。

 条例で禁止されている場所での喫煙、歩き煙草、吐き気がするほどの臭いを付けて公共機関に入る、そういったことなら叩くのは分かりますが、許可された空間、許可された場所、あまつさえ個人の家での喫煙までとやかく言われるのは納得がいきません。

 喫煙者からすれば臭いが付くだけの喫煙よりも、泥酔して問題を起こす酒の方がよっぽどどうなのって思います。

 

 正直なところ、私は喫煙で健康状態が著しく悪くなっても別に気にしないんです。コーヒーとエナジードリンクのカフェイン、煙草のニコチンで無理やり身体を動かしている認識は持っています。私は痩せ型ですが、太りにくい体質ではなく太れない(栄養を吸収できない)ほど身体が壊れてきている、またそうなるまで身体に負担を強いていることくらい分かります。

 煙草を吸っただけでヒトラーポルポトと同レベルの大罪人であるかの如く糾弾され、搾取され続ける社会ですから、別に長生きをしたいとも思っていません。それなりに生きて、26歳であるうちに死ねればいいなって。

 私は子供が欲しくありませんし(むしろ苦手です)、特定の恋人なんてできないでしょう。家族はもう既に散り散りバラバラで各々が各々の人生を歩んでいます。友人達もきっと友人達で楽しいことを見つけるでしょうし(彼ら彼女らの中で私の価値がどれほどか計りかねていますが)、気にすることと言えば、えっちゃんが然るべき人にちゃんと渡るかなって程度です。

 くゆる紫煙に、自分の命も溶かせたらいいんですけどね。

 

ゲヘナより哀を込めて。