虚勢の銀貨

東村の日々の記録

外野から喚く泥人形

 私は他人、と言いますか誰かと接するとき、その人の現時点でできるだけ判断するようにしています。実態は正直なところそれができているか分かりませんが、可能な限りそうあろうと努めています。

 「過去がその人を形作る」って言葉があるじゃないですか。私これ嫌いなんです。私自身が過去にいつまでも捉われて惨めに生きているっていうのもありますが、過去に、つまり現在でない過ぎたことがいつまでもタグとなってその人を標榜するって変な話だと思うんですよね。

 多分、私の極個人的な願望でしかないと思うんですが、どうしてもそうありたい、そうあってほしいと思うんです。

 

 普通、現在から未来へ目を向けた時に判断材料となるのは過去ですよね。昔こういう実績があるから、以前こういう経験をしたから、前からの頑張りが評価されてこんな資格があるから、そんな理由で未来のものへ対してある程度の予測を立てるじゃないですか。

 これもおかしな話ですよね。未来の話をするために過去の話をしないといけないんですから。ただ、世の中の大半はこうあるはずです。皆さんも経験があるでしょう?

 OO大学を出たから勉強ができるはずだ、△△ができたからXXもできるはずだ、・・で働いでいたから●●に詳しいはずだ、なんて言われた経験はありませんか。別にこれが間違っているってわけじゃありません。完全な未知に対して帰納的って言うんでしょうか、推論を立ててアプローチするのは間違ったことではありません。ですが、私が嫌なのはそれに凝り固まっている考え方なんです。

 「カフェで働いているのにコーヒーの産地の違いが分からないの?」「本が好きなのにこれ読んでないの?」って言われるじゃないですか。私も同じような論法で「あ、そうなんだ(笑)」と下に見られたことは何度もあります。私からすれば「日本に住んでるくせに日本神話全く知らないの?」「バレンタインに一喜一憂するくせに聖ワレンティヌスについて何も知らないの?」ってなりますよ。

 まあ勿論、個人によって知識や技能は上下左右するので適宜アップデートするのが普通じゃないですか。過去がそうだから、前提にこれがあるから、で全容を判断するのは愚の骨頂ですよ。言及しているのは現在であって過去ではないんですから。

 

 さっきから、「普通」と書いていますが、これ、私が最も嫌いな言葉の一端でもあります。「普通」こそ過去判断の最たるものじゃないですか。過去の何かしらの結果や結論、経験の総体を平均化してたった三音の語にまで貶めたものが「普通」です。しかもこの普通、タチの悪いことに世間一般では正義として成り立つんですよね。「普通なら20代後半では結婚して、30過ぎくらいに第一子を設けて、40くらいには家を建てて、50代では役職持ちになって、60で定年を迎えたら悠悠自適な老後を過ごして」、これ、高度経済成長期バブル期に跋扈した産廃共が描く”普通”です。少なくとも現在を生きる私やその前後の世代にはこれ全くヒットしないんですよね。普通じゃないんです。でも、今世間を牛耳ってるのは先の死にぞこない共ですから、時代遅れでカビが生えた普通を押し付けてきます。

 やっと最近ハラスメント系の問題やダイバーシティ働き方改革なんて叫ばれていますが(言葉面に先導される無能主導の政策や改革なんて成功するわけありませんが)根底にあるのはこの思想でしょう。

「普通じゃない人達を受け入れてあげよう」

 なんとも傲岸不遜で腹立たしい考え方ですが、現実はそうなんです。普通じゃない、過去は黙殺されたり、本人が抑圧していたり、そういった方々の権利をしゃーなしにみとめてやろうかって動きなんです。

 

 正直なところ、ダイバーシティLGBTなんて、私からすれば取るに足らない問題なんですよ。別にそのタグが付く方々を無下にしているわけじゃありません。先にも言いましたが、「個人を個人として、その人の現在で判断する」これができさえすれば別に何も問題も発生しないじゃあいませんか。身体が女で心が男、男だけど男が好き、日本とアメリカのハーフでアメリカ国籍だけど日本で働いている、女だけど最強のマネジメント技術がある。私からしたら「で?」の一言です。その人はそういう人、それだけじゃないですか。

 この判断を鈍らせる普通なんて、必要ないじゃないですか。

 

 私はね、多分普通に憧れているんです。普通に高校に通って、普通に部活をして、普通に青春っぽいことをして、普通に大学を卒業して、普通に流行りものを受け取って、普通にテレビを見て、普通の会社に入って、普通に結婚して、普通にそれなりに苦労や悩みがあって、その分普通に幸せを享受できて、多分普通に何の疑いもなく永遠の愛を誓って、なんてそんな普通の生活に憧れていたんです。

 でも、さっきもいったようにこの世の中、過去の実績で判断されるし、それが正しい世界なんです。そう考えると、私に「普通」の人生なんて望めるはずもないんですよね。いつから間違ってしまったか、病的な天邪鬼で傲慢無知で人様に言えないことを数えきれないほどしでかしてきました。過去を基盤に今が成り立つなら、私の今までの人生を基盤に成り立つ今もこれからの人生も、きっとろくなものになりません。こういうのを仏教では因果応報と言うんでしょう。

 

 酸っぱいブドウですよ。どうせ手に入らないならいつまでも焦がれていないで、いっそのこと憎悪の対象にすればいい。そうしないとケツを拭く紙にもならないくだらない自尊心が保てないから、私は私を批判して否定する過去を否定しますし、普通を否定します。

 私は人間様ではなく泥人形に過ぎませんから、劣等感を目の前を状況を変えるための活力にするなんて高尚なことはできません。普通から外れて、恨めしい目でギャーギャー喚くしか能がないですから、今後もそうやって、どんどん周りから構っていただける人間様がいなくなって、独り惨めに朽ちていこうと思います。

 

 皆さんはきっと人間様ですから、私の二の舞にはならないでくださいね。きっと皆さんなら幸せになる権利の能力もあるはずです。

 

ゲヘナより哀を込めて。