虚勢の銀貨

東村の日々の記録

ホール・イン・ワンダーランド

 ご無沙汰しています。

 長らく更新できませんでした。

 

 コロナが騒がれる昨今、どうお過ごしでしょうか。外出自粛が叫ばれて、満足に外で遊べないのが続いていますね。作家志望の方々はこの隙にガンガンインプットしてガンガン書いているんでしょうか。私も最近ようやっと筆が乗るようになってきました。全盛期には程遠いですが、少なくとも私史上最も面白い作品を進められています。内容は、デビューしてから手に取ってください。

 

 さてさて、ツイートでも書きましたが、昨日、デビューしたばかりの藍沢さんと飲んできました。藍沢さん、改めておめでとうございます。デビュー前から度々、半年に一回くらいでしょうか、一緒に食事をしていました。知っている方もいるかと思いますが、昨年のベトナム旅行は一緒に行ってきました。

 藍沢さんはミステリー作家で、私はSF作家志望で、エンタメってところは同じですがお互い書く分野、調べる対象はまるで違います。(プロの作家さんと自身を比べるのは烏滸がましいんですが、藍沢さんは並列で扱ってくれたように感じるので、そのように書きます)私はSFに必要なものを、藍沢さんはミステリーに必要なものを各々研究していますが、お互いの分野については結構知らないことが多いです。私が技法的にミステリーについて知っていることと言えば、ノックスの十戒がある、くらいで、藍沢さんにしてもロボット三原則は知っているんでしょうか。そこまで話したことはないです。

 ですからお互いがお互いの分野について話すときは「SFは難しい」「ミステリーは難しい」みたいはところに落ち着きがちです。昨日も話していて、そんな感じの話題になりました。藍沢さんの著作『犬の張り子をもつ怪物』にアリア、という名前の少女が出てきます。彼女の名前の由来をちらっと聞きましたが、藍沢さんの意図したものを満足には発揮できていない、と言っていました。逆にSFのいいところとして、突飛なものでも論理さえしっかりしていれば受け入れられるとも。ですので、今回はSFについて私が思っていることでも書いていこうかな、と思います。

 

 SFに限らずですが、文学作品のジャンルって現在結構ごちゃごちゃじゃないですか。ジャンルミックスが当たり前になって、SFロマンス、SFミステリー、ホラーミステリー、青春ミステリーみたいなものが普通ですよね。純SFもとい、古典SFでさえそういった片鱗がありますし。

 ただ、そういった中でSFをSFとして成立させている要素としてよく言われるのは「センス・オブ・ワンダー」の有無です。実際著名な作家や評論家がこの「センス・オブ・ワンダー」についていろいろ語っていますが、明確な基準や定義は定められていません。言葉面からも分かるように、かなり解釈の余地があるものなので、一人一人言うことが異なるんです。

 Wikipediaから引用すると「SF小説等を鑑賞した際に生じる、ある種の不思議な感覚のこと。また、それを他者へと説明する為の語である」となります。この時点でガバガバじゃないですか。「ある種」「不思議」「感覚」どれをとっても極めて主観的な意見ですよね。だから100人いれば100通りの説明があるんです。

 

 なら私にとってのセンス・オブ・ワンダーは何か、と聞かれれば、かなり平易な言葉を用いると「かっこよさ」ですね。それ以外で言えば「カリスマ」でしょうか。SFの突飛なアイディアも未知のガジェットも、キザな登場人物もあり得ない世界観も、かっこよければ、カリスマ性があれば全部OKなんです。

 もちろん、オールオッケーってわけではないです。カッコよさを演出するためには、それ相応の前知識や状況が必要です。ものすごく強い武器ガジェットがあったとして、「なんでそれが強いのか」「なんでそれが存在するのか」「なんでそれが生まれたのか」をきちんと説明や描写せず、「なんで強いかっていうと、僕が考えたからです!」だけではカッコよくもなんともないですよね。この前知識や状況の説明や描写を、きっとリアリティと言うんだと思います。リアリティを持った上で如何にカッコよくできるか、それができるのがSFだと思っています。

 度々紹介している『ニューロマンサー』ってSFの巨塔があります。主人公はサイバーカウボーイと呼ばれる、電脳世界へダイブできるクラッカーです。かつての天才ハッカーの弟子です。もうかっこいいですよね。相棒は全身をサイボーグ化した女用心棒です。目はミラーグラスになっていて、指先からはカミソリの爪が飛び出して、得物は細かい針を発射するダートガンです。はいかっこいい。もう設定だけでかっこいい。それが、暗黒メガコーポへ電脳スペースと物理、両方で潜入してあるものを奪おうとするんです。しかもその暗黒メガコーポは、宇宙コロニーの中の、「内側に向かって増殖し続ける」エリアにあるんです。設定も任務もかっこよすぎますよね。『ニューロマンサー』はこのかっこよすぎる設定に、過不足ない説明と描写を与えて、しかもそれを高いレベルで融和させているんです。だから作品としてかっこよくて、SFなんです。

 

 細かい「かっこいい」が付くのは作中のなんでもいいんです。登場人物でも、世界観でも、ガジェットでも、生き物でも。ただ、いくつか出てくる「かっこいい」のバランスが一つでも崩れると、その途端チープさが際立ってきます。「武器が強いんじゃなくて、敵が弱すぎるんじゃないの?」「主人公が賢いんじゃなくて、周りがアホすぎるんじゃないの?」と、読者は素に還ってしまいます。こうなっては最早かっこいい云々どころではないですよね。だから、SF作品では一つのかっこいいが突出しすぎることのないように、前知識や状況がかっこいいをより際立てるように、全編を通してかっこよく描かれてるんじゃないかな、って考えています。

 もちろん、このSFのかっこよさは私の個人的な認識です。なので、人によってはかっこよさではなく、派手さであったり、ゾワゾワ感であったり、淫靡さであったり、ごちゃごちゃ感であったり、感性によって描写する語は異なるでしょう。あくまで「かっこよさ」というかなり漠然とした言葉で説明しましたが、きっとこの「かっこよさ」が「センス・オブ・ワンダー」なんでしょうね。

 以前、恩師だったか画家さんだったかと話したときに「なんだかよく分からんけど、すげえ!」って感覚、と話した覚えがあります。きっとそれがセンス・オブ・ワンダーで、今私が感じているのが「かっこよさ」や「カリスマ」ってことなんでしょう。昔よりは少しだけ卑近な例で説明できたかな、と思います。

 

 私の周りでも「SFって難しそう」「SFってなんだかよく分からない」って言う人はままいます。でもね、私はそれでいいと思うんです。「難しいからよく分からないけど、なんかすごい」「よく分からないけどかっこいいっぽいから好き」結局、ものの好き嫌いってそんな極めてあやふやはものが源泉になるじゃないですか。

 SF好きがSF作品を全部理解しているわけなんてないんです。仮にそうだとしたら、SF読者は高等数学や量子力学、分子物理学、犯罪心理学や脳神経学、天体物理学や電子工学、果てには文化人類学や哲学、宗教学まで専門家ばりにできていないとダメなわけで、そんなホーキング博士もかくやといった人が一体地球上に何人いますか。だから別に、書かれたこと全部を理解できる必要なんてないんです。「よく分からんけどなんか好き」そんなふんわりしたものでいいんです。そういう懐の深さも、私がSFを好きな所以の一つです。

 

 最近、結構SF界隈盛り上がっていますよ。昨年の『アステリズムに花束を』『なめらかな世界と、その敵』から、コロナ騒ぎから『天冥の標2巻』『復活の日』が注目され、今は『三体』シリーズが累計30万部ですって。常々、「売れるからおもしろいわけではない」とは思っていますが、この勢いのある機会に皆さんも手に取ってみては如何でしょうか。きっとまだ見ぬワンダーが広がっているはずですよ。

 

ゲヘナより愛を込めて。