虚勢の銀貨

東村の日々の記録

冷たい水の中を震えながらのぼっていくような

 「言葉狩り」なんて、よもや生きているうちにここまで派手に行われるとは思わなかったですよね。

 少し前、COVID-19の騒ぎが一時鎮静化したかなってあたりで、アメリカの黒人男性が殺された件でBlack Lives Matterがヒートしました。私は黒人へ対して何も思っていないのでここでの言及は避けます。断っておきますが、「黒人だから何も思っていない」のではなく、「全人類に対して何も思っていない」が正しいです。冤罪や痛ましい事件なんて世界中で起きています。今に始まったことではありません。置換冤罪で社会的に死亡する日本人男性もいますし、年端もいかないうちから親子ほど年の離れたおっさんに嫁がされるアフリカの子供もいます。いじめや家庭内暴力に悩む白人もいます。私にはどれかを特別視して取り上げることも、全てを取り上げることもできないので、当該の黒人男性の直接の事件について語ることはできません。

 

 ただ、それに付随するいきすぎた主張や運動についてはどうなのかって思います。数年前に日本でもSIELDsなんてのがありましたね。集団的自衛権の法整備に伴って、戦争をしようとしているだの、徴兵制が復活するだの、ありもしない幻想を叩いて市民に迷惑をかけていた馬鹿共の集まりです。私ね、今のアメリカもとい西欧圏のBLM運動の大半には似たものを感じているんです。

 例えば、ちょっと前に「平和的デモをしていたデモ隊が銃で威嚇された」ってロイターだかCNNだかが報道していたじゃないですが。あれ、蓋を開けてみれば、平和的デモ隊(笑)が、弁護士の私有地に無断どころかゲートを破壊して侵入して、自分の家を守ろうとした住人が銃を出して威嚇したってことなんですよね。ちょっと探してみてください。ひどいものですよ。

 敷地がバカでかくて、柵のない牧場や広場みたいになっているなら、”誤って”デモ行進のルートへ入れてしまった、なんてこともあるかもしれません。ですが、実態は家の敷地は塀で囲われていましたし、ゲートは金属製で閉じられていました。デモ隊はそのゲートを破壊して、明らかに私有地だと分かる場所へ侵入していったんです。これだけのことをやっておきながら、何が平和的、ですか。もちろん、そんな凶行に走るのは一部の馬鹿だったことは分かりますが、同じタグを掲げて運動している以上、悪目立ちすれば全て同じに見られるんですよ。

 

 関連した運動の中で、私が特にやりすぎだと思うのは「奴隷」という概念をそもそも破壊しようとしている流れです。今BLM運動に付随して、奴隷商で財を得た偉人の像が破壊されているのを知っていますか。私腹を肥やして悪逆の限りを尽くした、ってわけではなく、「奴隷商を財源にその土地の発展に寄与した」人物の像が、です。現代の倫理では奴隷商なんて人身売買と変わらず、日本の憲法で言えば基本的人権を無視しているものとして許されざる行為です。ですが、その当時は(私も当時に生きていたわけではないので何とも言い切れないですが)、ある程度当たり前のことだったんじゃないでしょうか。日本が100年前200年前は、小学生くらいの子供も働いていて教育なんてほとんど受けなかったのと同じように、その当時の奴隷商は絶対的な悪ではなかったはずです。

 にも拘わらず、短絡な馬鹿は「奴隷!悪イ!許サレナイ!」と、関係していた偉人の像を打ち倒しています。旧ソ連圏のように、その人を権威付けるためのものならまだしも、敬意を表するために建てられた像を、しかも公共財を破壊するなんて言語道断ですよ。

 

 しかも、元奴隷商の像だけでなく、奴隷という言葉そのものも禁止されつつありますよね。先日リツイートしましたが、IT用語の「Slave(奴隷)」が撤廃しようとしているらしいです。IT用語でのSlaveなんて「強制労働させるために人権無視で徴用した黒人」なんて意味はありません。「コマンドに従うもの」「親プログラムに追従するもの」程度のニュアンスですよ。

 それだけじゃありません。アマゾンプライムで日本のラノベ原作アニメが配信中止にされたようですね。理由は諸説ありますが、共通するのは「奴隷が出てくる」かららしいです。呆れて言葉もありません。現在行っている奴隷商を取り締まる、それは全く問題ありません。でも、奴隷に関連するものを取り締まる、意味が分かりません。奴隷の概念を規制すれば過去のことが消えてなくなるのでしょうか。奴隷の言葉を封じれば誰もが幸せになるのでしょうか。

 

 SF用語なのかどうかは分かりませんが、Slave Unitって単語があります。私好きなんですよ、かっこよくて。いろんな意味がありますけど、私が好きなのは「神戸の私が操作する、東京で動く私型アンドロイド」のアンドロイドの方を指す使い方です。端的に言えばアバターやゲーム内キャラクターのように、「意思がなくて操作されるもの」って感じでしょうか。ただSlave自体を封じられると、こういう使い方もできなくなるんですよね。

 

 また、同じように「White=いいもの/Black=わるいもの」としてのWhite, Blackも規制されているみたいです。ホワイトリストブラックリストがダメらしいです。最早意味が分からないですよね。そもそも良し悪しを形容する際の白黒は白人黒人由来なんでしょうか。違いますよね。美肌は「肌が白い=綺麗な肌」であって、「肌が黒い=汚い肌」なんでしょうか。黒人男性が殺された件から、種々の運動はどれも飛躍しすぎではないでしょうか。

 かつて日本にもあったような「めくら」や「えたひにん」のように、侮蔑目的の語ならまだしも、ブラックリストが「黒人入店禁止の札が黒色で、そこに由来する」みたいなものならまだしも、「悪い意味で黒が使われているから」なんてのは筋が通りませんよ。

 

 表現の自由、なんて大それたことを言うつもりはありませんが、既に市民権を得て普通に使われている、それも差別意識なく使われている言葉を改めて規制うるなんて、過剰反応の暴挙以外何ものでもないですよ。そんなことをしていては、無駄な規制反対派が反発から別の暴挙へ移りかねません。

 ドイツの作家、ハイネの言葉にこんなものがあります。

 Dort wo man Bücher verbrennt, verbrennt man auch am Ende Menschen.

 焚書を批判したもので、「本を焼く者はいずれ人を焼く」という意味です。これ、まさしく今の状況を指していると思うんです。今、世界的に人権意識が高まっている風潮がありますね。それはとてもいいことです。ただ、「新しい意識が生まれているにも関わらず、それに同調しないことへの批判」が正当化されすぎてやいませんかね。

 例えば、ディズニーの『リトルマーメイド』の実写化アリエル役で黒人女性が起用されたことも物議を醸しました。これには反対意見も多くありますし、実際私も反対です。「黒人だから」ではなく、「元々のアリエルが白人赤髪だから」です。新しい作品に黒人役者を起用することにはなんら問題はありません。でも、実写化という、「元があった上でのリメイク」にもかかわらず、ポリコレを意識しすぎてキャスティングを考えるのは如何なものでしょうか。私と同じ考えの人は結構な数いるようです。『リトルマーメイド』は人気作ですものね。人魚なので私も好きです。ですが、本件の批判(ほとんどが「雰囲気を壊さないで」「原作をリスペクトして」といったものです)への批判は「人種差別はナンセンス」「新しい時代を受け入れろ」というものでした。論点がずれているじゃあないですか。

 今後、多分こういったことは頻発しますよ。殊、ハリウッドもといアメリカの作品はこの流れが強くなるでしょう。ナードな少年や快活な女性、クラスの中心の黒人や、周りに馴染めない白人、ゲイやレズも言わずもがな、こんな「いろんな人へ配慮しています」と目に見えるアピールがどんどん出てきます。何度も言いますが、私は別に現実に存在する彼らを否定するわけではありません。紋切型でどの作品にも同じく様式美のように出るその風潮が嫌いなんです。

 

 私が小説を書くとき、そこにおける「必然性」を重視しています。登場人物が男性であること、女性であること、白人であること、黒人であること、アジア人であること、同性愛者であること、子煩悩や人嫌いであること、その全てに必然性を求めます。このスタンスからすれば、最近のポリコレ至上主義は違和感の塊なんです。

 作品に必要なら、奴隷の言葉を使います。めくらやつんぼを使います。逆に不必要なら白人黒人問わず削除します。作品って、そういった取捨選択の上に成り立っていて、それがたまたま視聴者や聴衆、読者や観客に刺さるんじゃないでしょうか。200年前を描写するのに今の倫理を反映してどうしますか。300年後を描くのに現時点の道徳を論じてどうしますか。作品ってそういうものじゃないでしょう。毒にも薬にもなって、時としてよからぬことも表現されます。でもそれを実行/実現しないようにするのが教育じゃないですか。

 「差別はいけません」と教育できないからって、創作物から差別を取っ払うのは焼け石に水です。臭いものに蓋をしたところで、その場しのぎにしかなりません。風潮を鑑みる必要はあるかもしれません。ですが、全面的にそれに従って自分の表現ができないなら本末転倒でしょう。今後、先述の無駄に人権意識高い系が増えることでしょう。指摘が正しいと思ったときには改める必要がありますが、筋が通らない場合には突っぱねないといけません。少なくとも私は、周りに自分の作風を委ねるほど優しくも卑屈でもありません。

 私はいろんな作品に触れたいんです。配慮に配慮を重ねて、外見から中身が想像できるものはもうたくさんです。だから、せめて私くらいは逆賊と非難されても表現したいことを創っていきます。

 

ゲヘナより哀を込めて。