虚勢の銀貨

東村の日々の記録

パンドラの匣には希望が残りました、とさ

 中国で世界初のゲノム編集ベビーの誕生しましたね。ただ当人は倫理委員会や民意を味方につけていたわけではなく、独断で人の遺伝子を改竄した悪の権化のように扱われています。今日は遺伝子編集について書いていきましょうか。

 

 まず、ゲノム、遺伝子、DNA、染色体なんて言われて皆さんどれだけ理解できていますか? 生物学を履修しているなら問題ないんでしょうが、きっと一般的には全部一纏めに「遺伝子」と呼んでいることでしょう。「細胞の中の、身体の構成情報が詰まっているやつ」くらいの認識かな、と考えています。

 簡単に説明しますと、ゲノム>染色体>DNA>遺伝子の順に小さくなっていきます。「ゲノム=遺伝情報全て」「染色体=DNAの集合体」「DNA=遺伝子の集合体」「遺伝子=遺伝情報を保持してるやつ」これくらいのざっくりした認識で平気だと思います。

 これを踏まえて、一昔前に問題となった「遺伝子組み換え」ですが、これは生き物の最小単位(あくまで便宜上の呼び方です)の構成情報を組み替えて、本来ない特性を持たせるものですね。

 

 例えば作物Xに「Aという遺伝子は実の大きさを10cmまでしか成長しないと制御している」、こんな遺伝子があった際に、別の作物Yから「Bという遺伝子は実の大きさを最低20cmまでは成長させる」という遺伝子を取ってきて、作物Xに組み込みます。するとXは単純に倍以上の大きさの実を付けることになりますよね。

 これの応用で成長を早めたり、実りを多くしたり、殺虫作用を持たせたりできます。問題は、これが本当に狙った効果だけを発現できているかが不確かということです。DNAは1mmの1/100万というとてつもなく小さなものですが、特定の遺伝子となると更に小さくなります。当時の技術ではこの遺伝子をレゴブロックのように付けたり外したりを簡単にはできません。そのため、「実を20cmまで成長させるB遺伝子」が入っているDNAの一部を、操作対象になるDNAにぶつけて無理やりくっつけるような作業でした。その中でちゃんと狙った機能が出ているものだけを育てるようにしたんです。

 簡単に言ってしまえば「数撃ちゃ当たる」戦法ですね。勿論、これは成長した後には意味がないので成長する前の種の状態で行います。人間に使えなかった理由はこれです。人間の種、つまりは受精卵になりますが、これは将来的に人間になるもので、「命を操作する」以前に「人の命を弄ぶ」ことになりかねないとされて、倫理的に禁忌とされていたんです。私としては人の命も動植物の命も同等だと思っているので、実験している段階で変わりはないと思うんですけどね。

 

 さて、先ほど〈当時の技術では〉と書きましたが、今は事情が少し異なります。お気付きでしょうか。上の話は遺伝子組み換えであって、ゲノム編集の話ではないんです。遺伝子組み換えでは一部にのみアプローチする技術だったのに対し、ゲノム編集では遺伝子情報全てを包括的に操作します。結構プロセスが複雑なので今回は省きますが、中国の件はゲノム編集によるものです。

 

 問題となっているのは「人体実験じみた処置をしたこと」へのバッシングです。ゲノム編集によって手を加えられた子供は生まれながらHIVウィルスに感染しない特性を有しています。HIVウィルスは周知の通り、一度罹患すれば現代では完治不可能です。これについて最初から罹患しないように耐性を仕込める技術が生まれたんです。勿論、これは本人の同意を得て、予防接種のように医療行為として受ければ問題なかったかもしれません。どんな副作用が出るか分からないという事実も、バッシングに加速をかけているのでしょう。

 

 実際に「ゲノム編集技術は完全に安全で、医療ミスはほとんど起きず、狙った効果をきちんと発現させられる」と実証されたとして、恐らくこの手の議論は尽きません。

 「デザイナーベビー」という言葉を聞いたことはないでしょうか。遺伝子工学が発達して、生まれる前から性別はおろか、身長や運動神経、学力の素地まで決められた子供のことです。こうなると子供は一人の人間ではなく、愛玩動物のような扱いを受けることでしょう。

 「医療行為に限定すればいいのでは?」なんて声もあります。そもそも医療行為は「命を助けるための行為」ですね。これを前提とした場合、先天性の染色体異常で引き起こされる病(パトー症やダウン症ターナー症)は克服できるでしょう。今現在の医学界でも治療やケアの対象になっていますからね。

 では私のような発達障害自閉症スペクトラムは如何でしょうか。これも現時点では明らかになっていない点も多いですが、遺伝子の異常と言われています。ただ、発達障害に関しては「本人が困っているか否か」が一番重要な診断基準となりますので、仮に今の医療基準のまま技術だけが進歩した場合、ゲノム編集での治療が許されるかについてはかなりグレーです。

 更に、容姿をよくしたり身長を高くしたり、男性なら筋肉質に、女性ならスリムに、とするのはどうでしょう。医療行為ではなくどちらかと言えば美容整形に近いかと思いますが、子供の未来を明るくしたいと考える人なら選択肢に入るはずです。幼少期、肉体的なことをあげつらってからかわれたり、思春期に自分の身体のことで悩んだり、果てにはそうしたことが原因で命を絶つ人がいるのは紛れもない事実です。

 また、学力の素地についても同じことが言えるでしょう。現代の学歴社会、いい大学を出ていればその人の直接的な能力に関わらずいい評価を貰えることがあります。そういう人は必然的にそうでない人と比較して選択肢が増えます。「子供によりよい未来を」と考えた場合、当然考えられることでしょう。

 

 ゲノム編集は、単なる治療行為に留まらず、文字通り私達の価値観を根底から変える力を持っています。上手いこと編集できれば翼の生えた人間を作ることも、海底人を作ることも可能なはずです。

 現代の私達から見れば、それは薄気味悪く、生命の尊厳を踏みにじっているように感じられますが、急激にしろ緩慢にしろ、価値観は変化していくものです。ひょっとすれば半世紀後にはゲノム編集が当たり前となって、ゲザイナー(ゲノム編集前のゲノム設計者、Genom+Designer)が人気の職業になって、自然出産は虐待の代名詞のように扱われるかもしれませんよ。

 

 私は再三言っていますが、新しい技術、新しい価値観を反射的に拒否するのではなく自分の中の判断基準と照らし合わせて、大勢に流されるままでなく自分から決断を下すことが大切なんです。

 今回、「倫理的、人道的にゲノム編集は逸脱している」と糾弾するのは簡単です。ですが、それがどういう経路で、どういう影響力や実態を伴っているから逸脱と呼べるのか。これは各人の中にしか基準はありません。

 ゲノム編集が当たり前となる世界より、誰もが右に倣えの世界の方が私は気味悪く感じます。

 

ゲヘナより哀を込めて。