虚勢の銀貨

東村の日々の記録

短く、激しく

「将来的に」という言葉が嫌いです。

 将来的に役に立つ。将来的に価値が上がる。だからなんなんですか? 「将来的に」が枕詞として使われることを理由に何かをするなんて、そのものに理由を見つけられなくてこじつけているだけじゃないんでしょうか。

 

 日本生命が実施したアンケートによりますと、日本生命の保険加入者のうち「長生きしたい」と考える人は全体の半分以下でした。確かに、私の周りを見ていると、長生きしたいと考えている人はそう多くないように感じます。

 しかし、この「長生きしたい」と答えた人の中にも、派閥はあると思うんですよね。「今の人生が充実しているから、少しでも長く今の状態を享受したい」派や「人生の目標があるんだけどまだ達成できていないから、達成できるまでは生きていたい」派、「なんとなく死ぬのが怖いから、とりあえず長生きしたい」派などなど、第三派が一番多い気もしますが。。。

 

 私が思うに、「長生きしたい」と答えられる人は、これまでの人生で総体として概ね幸せなことが多い人で、且つ今の社会事情をよく把握できていない人なんじゃないかな、と思います。いえ、別段その人達を侮蔑するわけでなく、スムーズに生きていく上ではある程度の盲目さは必要ですから、むしろ私は羨ましいとも思います。

 未知の将来を自身という極狭い範囲に落とし込んで予想を立てるにはそれまでの経験や体験を元にする外ありません。私がジョブズの人生や、ザッカーバーグの半生を参考にしたところで環境も状況も異なりすぎているために、モデルケースは作れません。仮に仲のいい友人を参考にしても、得手不得手が違いますし家庭環境だって違います。だから、これまでの自分を参考にするしかないのです。

 つまり、過去の延長が続いていくと仮定するわけです。これまで自分に起きたことが、姿かたちを変えて今後も自分に起こりうる、と想定した場合、「長生きしたい」と考えるのはきっとある程度は幸せな人生を送ってきた人たちでしょう。大好きな彼と一緒だから今後も続けていきたい。子供が生まれたからその成長を見守りたい。その人にとってそのことが幸せなんでしょう。

 

 対して、そこまで長生きしたいと思わない、もしくは長生きなんてしたくない、と答える人には二パターンいると思います。それなりに今の人生に満足している人、これまでの人生が幸せとは言い難い人。このご時世、前者はそこまで多くはないのではないでしょうか。思い描ける目標はほとんど達成し、何かに飢えることもなく、願うものは手に入れてきた人がここにあたります。

 これまでの人生が幸せとは言い難い人、ここはかなり大勢が分類される気がします。不幸を嘆くほど辛辣なものではなかったにしろ、延々続けていきたいほど素晴らしいものではない。今までは幸せだったかもしれないけど、その幸せを運んでくれた物ないし人が今はもういない、そんな人達でしょう。きっと、「生きること=素晴らしい」とする現代の社会で何かしらの生きづらさを抱えていることでしょう。

 

 少し前ツイッター上で、ツーリングを情報を逐一ツイートしていた方が旅の終わりにダムにて自ら命を絶ってしまうことがありました。その人をフォローしている人も多く、リツイートも結構な数されていたために、リプライには様々な意見が飛び交っていました。冥福を祈るものや惜しむ声が大半でしたが、私の目についたのは「生きなきゃだめだよ」「自殺なんて許されない」などなど、言うなれば彼を決断を否定するものでした。

 

 私は長生きしたくないタイプの人間ですし、自殺についても容認派です。自殺をほのめかすことを相談されても、それはその人自身が考えに考え抜いての決断ですから尊重したいと思いますし、何より止める権利なんてありません。自死に限らず、「生きること=善いこと」とする風潮そのものが嫌いです。

 「生きてるだけで丸儲け」という明石家さんまさんの言葉がありますが、私個人としてはこれは万人に当てはまるものではない、と思っています。さんまさんのように誰からも必要とされ、尊敬の念を集め、人望に厚い人なら、確かに生きてるだけで善いことだ、と感じられるかもしれませんが、果たしてそんな人がどれだけいるでしょうか。

 「生きてこその物種」も、確かにその通りですが、その物種は幸福を約束するものではないことを忘れてはいないでしょうか。幸福の裏には不幸があり、不幸の影には幸福があります。生きていれば今後、幸福を見ることができるかもしれませんが、同時に過去経験したことのない最大級の不幸を味わう可能性だってあります。

 

 更に、日本を例にすると、現代は若年層が生きていくには、かなり辛い環境ではないでしょうか。保険料は年々上がり続け、今の老年層を(しっちゃかめっちゃかな今の日本と作った老年層を)養うために年金を払い、一向に改革の成果が見えない現状で、未来へ希望を持つのは厳しいでしょう。市場に出ている25~65歳の労働層が日本を支えていると言っても過言ではないにも関わらず、政治は65歳以上の支持者を集めるのに必死です。社会を制度から変革しようとするのではなく、如何に既得権益を死守するかで精一杯なんでしょう。

 私は別に、若者の代表面をするわけではありませんが、もう少し夢を見せてくれる社会であってほしかった。

 生きてるうちに歯車にしかなれないんだったら、賽の河原で石を積むのと変わらないじゃありませんか。

 

 私は私の人生をベースにしか語ることはできませんが、もう少し盲目なら、もう少し有能なら、これまでの人生は幾許か変わっていたのかもしれませんね。

 

ゲヘナより哀を込めて。