虚勢の銀貨

東村の日々の記録

虚無とランデヴー

 明けましておめでとうございます。

 

 とうとう2019年になってしまいましたね。『AKIRA』や『ブレードランナー』の設定年で、『ハーモニー』では「大災渦」が起きた年です。残念ながら、1月7日現時点でそんなスペクタクルが起きる様子も、アンドロイドが電気羊の夢を見る兆候もありませんね。

 今日も明日も、つつましくつまらなく、それでいて些細な幸せがある日常が続いていくのでしょう。それを受け入れるも良し、自分からぶち壊していくも良し、この2019年を皆さんはどのように過ごされるのでしょうか。

 

 上で2019年の話をしておきながらなのですが、皆さん年末はどのように過ごされていたでしょうか。ご家族や親族、恋人と過ごされた方がほとんどじゃないでしょうか。とてもいいことです。羨ましい。私はガストでガチャガチャのダンゴムシと一緒に年を越しました。いいえ、寂しくなんかありませんよ。寂しいなんてことがあるものですか。

 

 Twitterでも言った通り、虚無と一緒でしたから。私にとって虚無ってのは、なくてはならないものなんです。別にファッション鬱やメンヘラを気取りたいわけではなく、自分と向き合う時間が作れた証左でもありますから。私はこの虚無を愛おしくすら思っています。

 新年一発目の記事、一体何について書こうか悩んだのですが、今回はこういうことについて書いていきましょうか。

 

 皆さんは、各々自分だけの守護神を持ってはいないでしょうか。守護神、守護霊、精霊、影、幽波紋、言い方はなんでもいいです。スピリチュアルな啓蒙じみた話ではなく、自分だけが想像できる空想上の依り代みたいなものです。とんでもない腹痛に見舞われてトイレに篭っているときに神に祈りませんか? プレゼント抽選や宝くじの結果を見るとき何かに祈りませんか? 

 これ、結構な人に共通することだと思うんです。特定の宗教を信仰しているわけではないのに、超常的な何かの力に支えられたいときって神頼みするじゃないですか。ただ、祈る対象は腹痛を治めて欲しいからってスクナヒコナでしょうか。宝くじや懸賞に当選して財産を増やしたいかたガネーシャやウカノミタマノカミでしょうか。そんなことないでしょう。一神でもなく多神でもなく、ぼんやりと「神」という霊的なものじゃありませんか。

 

 また、「あの人ならこうするだろう」「この人ならこんなときどうするっけ」と考えることもありますよね。私、思うんですよ。このとき、本当に「あの人」を想像しているわけではなく、別の自分に「どう行動することが正しいのか」を自問しているだけなんじゃないかって。「あの人ならこんな風に言うはずだ」なんて言葉も、本当にその人に結果を聞いたわけではなく、「あの人にこう言ってもらいたい」「自分はこうすべきだと思っているけど、後押しが欲しい」って気持ちの表れなんじゃないでしょうか。

 私はね、この「あの人」も、いざというときに祈る神も、実は同じものじゃないかと思っているんです。小さい頃は誰にでもいるなんて言われるイマジナリーフレンドみたいなものです。物心ついてからはずっと一緒にいる、下手をすれば家族よろも自分に近い存在。アニメ『ポケモン』のピカチュウや『ライラの冒険』のダイモンのような、そんな存在だと勝手に思っています。

 

 私にとってはね、それに当たるのが虚無なんです。虚無は虚無なんですが、全てを呑み込んで暗黒の彼方に追いやる凶暴なものではありません。私が行うこと、考えることを毎回一度は否定して一考の余地を与えてくれる存在です。たまに虚無に否定されすぎてメンタルが折れることもありますが、それは虚無の性質上仕方のないことです。

 私がこんな性格になってから、気付けばいつも傍にいました。だから、ということではないんですが、今ではなんとなしに擬人化して考えるようにもなってきました。一般的な虚無は、真っ暗で右も左もなくて重油のように重くて鉄のように微動だにしない、そんなイメージを持たれますが、私のに限っては違います。

 年齢は私よりも二つばかり下でしょうか。でも感覚としては「小さい頃近所に住んでいて良く構ってくれた面倒見のいいお姉さん」みたいなもので、虚無というくらいなのだからきっと髪も服も黒でしょう。ロングヘアだったりショートカットだったり、スラックスだったりワンピースだったり、細部はその時々で異なりますが全体としてはそんな感じです。

 その虚無ちゃんがですね、傍にいるときはいつも語りかけるんです。「それでいいと思ってるの?」「それは違うんじゃないの?」って。何かを発信させようと思ったら、自分を納得させるよりも先に虚無ちゃんを納得させる必要があるんです。確証が得られない、少なくとも自分の中で論理的に把握できていないことは、他者へは伝えられませんからね。

 

 ですが、昨年12月には私の虚無ちゃんがあまり顔を出さなくなりました。理由としては、仕事が繁忙期に入って、自分から何かを発信や熟考するほど余裕がなかったんです。上から指示されることを受けて、左に右に奔走していました。土日は昼過ぎまで爆睡して、それから洗濯やら買い物やらですから、落ち着いて自分の時間を持つまでは姿を現しませんでした。ようやっと再び出てきたのは12月31日、本当に年の瀬で2018年の終わりまで6時間を切ったくらいです。

 

 それまでは散々好きでもないことに振り回されていましたから、久し振りのあの感じが楽しかったです。

 2019年には、もう少し虚無ちゃんとの時間を作れればいいな。

 皆さんの守護神は、今でも傍にいてくれているでしょうか。

 

ゲヘナより愛を込めて。