虚勢の銀貨

東村の日々の記録

もの書く人々

 文章を書く、というのはどういったことでしょう。

 昔は紙と筆を手に取って、墨で何かを象る行為。更に遡れば、紙ではなく石や骨や葉が下地となっていました。でも、人間が文明と呼ばれるものを手に入れて、いや日本が文明を手に入れて約2000年。その中で主流となっていた「文章を書く」行為のツールは筆と紙だったはずです。

 しかし、ここ100年でその様態ががらりと変わりました。筆がペンに変わったことは言わずもがな、今では紙に書くこと自体が少なくなっていることに皆さんは気付いているでしょうか。ホワイトボードやディスプレイに文字を書くどころか、果てには空間にも文字を書けるペンが出現しています。科学技術の発展は凄まじいですね。

 

さて電子デバイスなる、便利なことこの上ないツールが出現して、昨今ではペーパーレス化が各々の自宅でも叫ばれています。私は会社で使うようなクソどうでもいい資料の印刷については、ペーパーレス化されてしかるべきだと思っていますが、何も紙自体をこの世から抹消せよ、なんて口が裂けても言えません。

 

 最近の学生はPCでノートを取る人が増えているみたいですね。私が学生の頃もPCでノートを取る人はそれなりにいましたが、今の学生に話を聞くと学部にもよりますが、PCで取るのは珍しくない、とのことです。私は違和感を覚えるのですが、「PCでキーボードを押して文字を入力すること=文字を書く」と言えるのでしょうか。

 この言葉面だけ見れば「ノー」と答える人はそれなりにいるでしょうが、メールを作成するときはどうでしょう。「メールを書いてる」と言いませんか? 更に掲示板へ投稿する際は? 「掲示板に”書き込む”」と言いませんか?

 果たしてキーボードを打ち込むのは書くことなのでしょうか。「書く」という語は、「掻く」と同じところに端を発します。つまり何かを引っ掻き、痕を付けることです。今はまだ、ノートやペンが売られていて、折を見て新作や新機能を備えたものが新たに市場に並ぶようにはなっています。

 ですが、それも今後10年30年50年と続いていくでしょうか。私見では、今後半世紀の間にアナログな筆記用具はメインストリームから消滅すると考えています。勿論、愛好家やアナログ主義者の間では生き残るでしょうが、それは最早趣味の範囲で、「何かを書く」という本質からは逸れていきます。文化や時代の潮流が変わることは避けられない事実ですが、「書く」行為が逸脱した先で、私達は一体何を書いているのでしょうか。

 

ゲヘナより哀を込めて。