虚勢の銀貨

東村の日々の記録

久し振りにおこです

 今日、『ミュージックステーション』に出演予定だった某グループが、番組側から出演キャンセルされるという異例の事態がありましたね。t.A.t.Uの件もありますが、彼女らは自分から降りたのであって、番組ひいては制作側からNGを出されるのは類を見ないようです。

 

 今回の問題の争点、といいますか発端は、キャンセルされたグループのメンバーが原爆賛美のTシャツを着用していたことにあるようです。日本で義務教育を受けた人なら一度は目にしたことがある広島長崎の原爆投下時の映像、その中のきのこ雲を切り取った写真と「原爆投下、独立万歳」なる言葉をプリントしていたようです。先ほどニュースの速報でも目にしましたが、件のTシャツデザイナーが謝罪文を出していましたね。ただそういうことじゃないんですよ。

 出演キャンセルのニュースを受けて、日本人ファンの中には「彼は知らなかっただけ」「日本語勉強して日本で活躍してるのに反日なはずがない」「みんなだって原爆を忘れてたくせに便乗するな」なんて苦情?が目立ちましたが、それもどうなんでしょう。

 

 そもそも、日本語を勉強する中で原爆は避けて通れるものでしょうか。私は大学でドイツ語を専攻していましたが、ドイツ語の文法や技法だけでなく、ドイツ現地の文化風俗、政治、歴史などなどみっちり仕込まれました。日本の政党よりもドイツの政党に詳しくなったほどです。その中でやはり帝政ドイツやナチス、冷戦下の話は切っても切れない問題でした。それを語らずして何が文化だ、と言わんばかりに。

 日本語を勉強するのも同じではないうでしょうか。確かに厩戸王や足利政権下の擾乱どうの、みたいに古いことまでは知る必要はないかもしれません。ですが、原爆はまだ投下されてから80年も経っておらず、加えて全世界を震撼させるニュースであったはずです。

 なるほど確かに、大学で勉強するのと仕事で必要になったから勉強するのを比べるのはいささか酷かもしれません。私も確かに業務上や受験勉強で必要に駆られて英語は勉強しましたが、アメリカやイギリスの歴史には明るくありません。しかし、これはあくまで「英語が使える日本人が日本で生活する」ことを前提にした場合です。彼らのように、外国にまで出稼ぎに行く場合とは事情が異なります。

 私も一時期NPOで働いていた手前、カンボジアにしばらくいた経験があります。その際、やはりカンボジアの歴史について調べました。ご存じとは思いますが、カンボジアは半世紀前までポルポト政権下、つまりクメールルージュの暗黒時代にありました。今のカンボジアを当時の惨状抜きに語ることはできませんし、曲がり間違っても「Awesome! Killingfield!」なんてTシャツを着て歩くことはできません。

 私は別に自分のことを殊勝な人間だとは思いません。旅行ならまだしも、それなりの期間身を置く国について調べ、その土地で最低限の礼儀を知っておくのは当然のことでしょう。むしろそれもできないなら、さっさと自国へ引き返すべきです。

 

 更に、「みんなだって原爆を忘れてたくせに便乗するな」の発言についてですが、一度でもこれを学んだ人間が忘れられるものでしょうか。忘れるというのは以下のようなことを言うんですよ。

A「前に貸したDVD観た?」

B「DVD?」

A「ほら、ひと月前に貸したサメのやつ」

B「ああ、思い出した。ごめんごめん忘れてたわ。今日観るよ」

 これを、原爆に当てはめられますか?

A「原爆あったじゃん?」

B「原爆?」

A「ほら、1945年に広島と長崎に投下されたやつ」

B「あーはいはい」

 まずありえないでしょう。つまりね、当事者でなくとも原爆のことを忘れる人なんていないんです。普段意識していないだけで、忘却の彼方へ追いやっているわけではないんですよ。むしろみんなが忘れてたらここまで叩かれていませんし。某グループは所謂、人の道を踏み外して畜生に堕ちたんですよ。

 

 お国柄、世界中見ても一二を争う反日感情の温床になっていることは否めません。別に差別や見下すのを止めろとは言いませんが、それを公に発信することは違うでしょう。私自身、かの国は嫌いですが個人単位では普通の人と同じように接します。それが普通でしょう。酒鬼薔薇事件を見て男全員を批判したり、阿部定事件を見て女全員を批判したり、そんなことは間違っていると少し考えれば分かるはずです。ただ彼らはどうもそれが分からなかったようで、日本全土に無差別爆撃をしていました。

 しかも、日本の原爆だけでなく、ハーケンクロイツが刺繍された帽子を被ってファッション誌に乗ったり、ハーケンクロイツの旗を何本も立ててMVを撮ったり、悪ぶるのがかっこいいと思ってる中学生ですらやらないことをやっていました。

 

 対象のある負の感情は公に出てしまえば、何処かしらで必ず炎上します。これが日本だったからきっとお得意の忖度で、出演中止くらいで済んでいますが、仮にドイツならどうするんでしょう。リンチにされたりネオナチに目を付けられたりしても文句言えないことをしでかしていますから。

 

 政治の問題と芸術は昔から強く結びついているものですが、それは体制への反抗や現状の打破が主たるものです。今回のように、ただ相手の神経を逆なでするためだけに使われることはあってはなりません。それができるのは人間ではなく畜生です。

 きっとこの件もかの国では「憎き日帝が不当な圧力をかけた」等と曲解されるんでしょうが、それは仕方のないことです。堂々巡りのいたちごっこ、私達ができるのは、相手を冷ややかに見るくらいしかできませんから。

 

ゲヘナより哀を込めて。