虚勢の銀貨

東村の日々の記録

令和って物騒ですね

 最近物騒ですよね。四月末から連日連夜、人が亡くなったニュースばかり目にしている気がします。半分くらいが通り魔みたいな殺人、もう半分が交通事故。

 私は別に博愛主義者でも生存至上主義者でもないので自ら命を絶つ決断をされた方には「そうなの、お疲れ様」くらいにしか思いませんが、本人が生きたいにも関わらず外的要因で奪い取られてしまう場合には残念にも思います。

 

 四月末の飯塚幸三の事故から交通事故の報道が増えたように感じます。やっとマスコミが高齢運転手の危険性に気付いたのでしょうか。実際、私もバイクで走っていて事故を起こしそうになったことは何度かあります。誓って言いますが、私の全面過失ではないですよ。左右の確認もしないで合流してくる車や、ウィンカーも点けずに曲がり角手前で急停車する車、そんなのと事故を起こしそうになっています。なんの偶然か、こういう運転をするのはほとんどが高齢者なんですよね。孫がそれなりの歳になっていそうな爺さんが運転する車は怖いものですわ。正直、小学生が運転する車の方が安全なんじゃないかって思うこともあります。多分、なまじ長生きして運転歴も長い分、過度の自信があるんでしょう。飯塚幸三も歩くときは両手に杖でプルプルと惨めなカタツムリ歩行しかできませんが、「車に乗れば抜群の技術を発揮する」などと盲信していたようですし。自重も支えられない脚で、安全な運転ができるはずなんてないのにね。

 先週くらいでしたっけ、車線をはみ出して100km/hで交差点に突っ込んだ事故、あれも高齢者でしたね。ドラレコの映像見ましたが、あんなのテロじゃないですか。あれを危険予測して回避行動が取れるドライバーがどれだけいますか。危険運転でもなんでもなく、単独テロに他なりません。

 そういえば、通り魔に関して私の大嫌いな芸人が「凶悪事件を起こすのは欠陥品。欠陥品同士勝手に争って勝手に死んでほしい」と発言したみたいですね。これもね、感情的になって好き勝手言っただけじゃないですか。凶悪事件を起こす、なんてのは所詮結果論に過ぎないわけです。凶悪事件を起こしたから欠陥品とレッテルを貼られるわけであって、欠陥品だから凶悪事件を起こすわけじゃないんですよ。高須クリニックの委員長も「サイコパス因子を持つ人間は一定の確率で生まれる」みたいなこと言っていましたけど、サイコパス因子を持つ人が全員凶悪事件を起こすわけじゃないですよね。

 だから卵が先か鶏が先か、じゃなくて、この問題は絶対的に鶏(凶悪事件を起こした、という事実)が先なんです。さて、何が言いたいかと言うと、テロまがいの自爆自動車特攻をする高齢者も欠陥品じゃないですか。欠陥品同士勝手に消耗してろ、と言うなら高齢者同士勝手に轢き殺しあってればいいじゃないですか。

 自分の身体の衰えも認識できず、判断力も低下した状態で車に、まして人が多い街中で乗る方がよほど凶悪だと思いませんか。しかも、高齢者の自爆特攻の犠牲になるのって何故か若い人が多いんですよね。ニュースでも30歳以下が大半のように感じます。そこをマスコミが強調して報道しているか、それとも若い世代が気に入らない老年層が結託して若年層を殺しているのか、真偽はどちらとも分かりませんがね。

 

 私、神戸に住んでいるじゃないですか。明石って隣の市なんですよ。私が住む駅から明石駅まで、20分前後で行けるくらい近い場所です。ここで、先日自殺志願者が救出されることがありました。踏切がそこそこある街ですから、その中に入って電車に轢かれての死を望んだみたいです。ですが、たまたまそこを通りかかった男子高校生に助け出されました。市は彼の行動に対して表彰状を渡しています。善行のなんとか賞みたいなやつです。

 Twitterでもニュース記事を引用して色々感想が挙げられていましたが、その中の9割は彼の行動を讃えるものでした。もう正直、愕然としますよね。いや別にいいんですよ。彼は彼がやりたいから助けただけであって、同時に自殺志願者だった少女は死にたいからそういうことをしたんであって。

 ただね、少女は少女なりに色々考えたはずですよ。「ちょっとコンビニでなんか飲み物買って来よう」なノリでできるもんじゃありませんから、彼女なりに様々なケースを想定して、計画して、葛藤があって、その上で実行しようとしたんじゃないでしょうか。幸か不幸か、勇気ある男子高校生に助けられてしまいましたが、別の意味で私は彼女を讃えますよ。私みたいなやつの立場からすれば、「男子高校生なにしてんねん!少女の決断を踏みにじるなや!」となりますが、それはまたの機会に。

 私が気になったのはね、少年の行動に対する賞賛の多さと少女へのバッシングの多さなんですよね。愚民が「生きることこそ何よりも素晴らしくて、死ぬことは全て悪」と刷り込まれて条件反射で自殺を叩くのは分かります。そしてそれを助けた彼に賞賛が集まるのも分かります。ただね、全ての評価評判が少女を決断を軽んじすぎているんじゃあないですか? こんな意見がありました。「彼の行動は少女だけでなく、電車の乗客のスケジュールや鉄道会社も守った」。これどう思いますか。

 彼女へのバッシングも似たものはありました。「死にたいなら一人で死ね」「電車が遅れて迷惑がかかるだろ」「他の手段にしろよ」etc。つまりこうコメントした人にとっては、人一人が命を落とす云々よりも、その他大勢の”スケジュールが遅延すること”の方が重大と判断したわけですよね。

 

 なんで私が自殺志願者の肩を持つか分かりますか? 私が将来そうするときに味方が云々ではなく、彼ら彼女らを取り囲む環境が簡単に想像できて、簡単に同調できるからです。

 皆さんは自分を嫌う人を好きになることができますか? 毎日毎晩自分のことを悪く言い、徹底的に無視して、「視界に入ってきた」みたいなしょうもない理由で殴る蹴るの暴行を加えてくる相手を好きになれますか?

 私が知る限り、善意や好意は等価交換です。Aさんに優しくされて辛いとき助けてもらったから他の誰かがそうなっていたら手を差し伸べよう。Bさんに好きと言われたらいつの間にか好きになっていた。そんなもんじゃないですか。人間のほとんどはされたことを他に展開するしかないんです(反面教師みたいな例もありますが)。暴力と罵詈雑言の中でしか生きてこなかった人が他人を勇気付ける声をかけられないように、慈愛に囲まれて満ち足りた生活を送っている人が好んで他人を傷付けようとはしないように。

 つまりね、今回の自殺志願者の彼女、彼女がそれを決断するまでに追い詰められた原因ってのはその周りになったんですよ、きっと。それまで生きて人身事故による列車遅延を経験しているはずです。最期の場所に踏み切りを選んだ時、それが頭をよぎったかもしれません。それでいても踏切での轢死を選択した背景には「自分の命よりもスケジュールの遅延を懸念するような奴らのために何故遠慮しないといけないのか」そんなことがあったんじゃないでしょうか。

 安全圏からコメントするような連中は、正論で武装して揶揄して笑ってるだけかもしれませんし、実際には単に気に食わないから叩くだけかもしれません。でも私から言わせればそいう態度こそが未来があった彼女にそんな選択をさせたんですよ。

 

 私の言っていることが理解できないなら、きっとあなたがいる世界は平和で愛に満ちているのでしょう。それを大切にしてください。

 私みたいな泥人形が、いつ反旗を翻して暴力を振るうとも限りませんから。

 

ゲヘナより哀を込めて。