明けましておめでとうございます。
皆さん、明けましておめでとうございます。
2020年が始まりましたね。レプリカントも脱走しないし、鉄男も現れないし、二年後に月の裏側で宇宙飛行士の死体が発見されることを祈りましょう。
さてさて、皆さんは年末年始を如何お過ごしでしょうか。きっと勤勉な皆さんのことですから、普段はない連休に一気に原稿を進めているのではないでしょうか。対する私は、全然進められておりません。お恥ずかしい限りですが、どうにも再起動に時間がかかっております。
年末、やはり仕事は忙しかったです。九月に担当顧客が変更となり、今まで勤続何十年という先輩の顧客を引き継ぎ、必死こいて働いていました。正直、今貰っている給料では割に合っていないと思います。まあ仕事の話はなしにしましょう。
先月、原稿もほとんど進められませんでした。土日は布団の中でうだうだして、多分月間で5000字いったか微妙です。3月に締め切りなのにね。。。
正直なところ、一週間前くらいま3月のハヤカワを諦めムードに入っていました。原稿全然進んでいないし、平日は進める気力もないしで絶望視していたので。ただ、昨日今日あたりからまたエネルギーじゃないですけど、モチベーションは上がってきました。やっぱり私、ハヤカワでデビューしたいです!
もう今年しかないと思うんです。私が26歳で死ぬ、と宣言していることもありますが、きっとこれ以上会社員生活を続けていると、自分から生み出さないことに慣れすぎる気がするんです。何処の企業も同じだと思いますが、自分一人で今まで存在しなかったものを作って世に発表発売することってほとんどないじゃないですか。個人事業主でもない限り、限りなくゼロと言っても過言ではないと思います。誰かが作ったものを再販したり、誰かに作ったものを丸投げして売ってもらったり、よく言えば適材適所、悪く言えば他力本願で経済活動をしていないでしょうか。いえ、別に批判するつもりなんて欠片もありません。ただ実態はそうなっていますよね、って確認です。
これね、私も身を置いていますがとても楽なんです。企業の傘に守られているってこともありますが、言うなれば世情の流れに乗るってことでしょうか。爆発的な変化をもたらさず、少し上を目指して、でも基盤は安定させて、そんなものが社会の流れとして正しいかな、と思います。
それに対して、小説を書くという行為はどうでしょうか。勿論、前情報としての知識や情報、設定や設計図となるプロットの作り方、そういったものは周りにあるものを流用できます。しかし、情報の取捨選択やプロットの一文にしても自分で生み出さないといけませんよね。更にそれを基に物語を起こすっていうのはとんでもない労力を使います。
以前、イラストレーターだったか漫画家だったかの方がツイートしていたもので印象に残っているものがあります。一字一句覚えているわけではありませんがこういった内容のものでした。
「漫画家やイラストレーターはトーン張りやべた塗は作業イプをしながら進められる、つまり完成させるまでに機械的作業が発生するけど、文章書きは最初から最後まで頭を捻らなきゃいけない」
確かにそうですね。どっちが大変でどっちが偉いとかそんなことではありません。ですが、この方が仰る通り、文章を書くときは常に頭を回転させながら、それを指先から起こしていくことが必要になります。体験したことがあれば分かりますが、とてつもなく疲れるし、とてつもなくエネルギーを要します。先の話を重ねて、これが難しくなると思うんです。
別に会社勤めが楽というわけではありません。そこにはそこ特有の辛さやしんどさがあります。ただ、それに慣れすぎると自分から、つまりゼロから発信することへのエネルギーの注ぎ方を忘れてしまうんです。仮にそれが上手くいったとして、上手くいって作業を始めるところまでいけたとして、その先はどうなるでしょうか。モチベーションをガソリンに発信したその機体を上手く制御できるでしょうか。
例えるなら、車とバイクの運転でしょうか(バイクに乗り始めてからこの手の例えばかりですね)。車は楽ですよね。運転手に当たる風がないし雨も防げるし、音楽がかかってエアコンも使えます。その分車体が大きいので駐車の際や狭い道では気を使いますし、首を動かした程度では防げない死角があります。対するバイクは風は当たるわ雨は凶器だわ、夏は暑いし冬は寒い。余談ですが、夏は涼しいなんてありえませんよ。股の真下にエンジンがあって風はぬるいしヘルメットがあるんですから。嘘だと思うなら真夏に湯たんぽを抱えてニット帽を目深にかぶってエアコンの室外機の前に座ってください。そんな感じです。でも車にはないメリットもあります。狭い道でもそこまで気は使わないし(危険で違反グレーゾーンなので私はやりませんが)渋滞時にはすり抜けもできます。四季を直に感じられますし小回りも利きます。
まあ、何が言いたいかというと、車の運転に慣れすぎてバイクをしっかり運転できるのか、ってことです。会社勤めの日々は車の運転のようなものです。企業という後ろ盾やコンプライアンスがある分好き勝手には動けませんが、その分楽ではあります。小説の書くことはバイクのようなものです。自分の裁量で全て進められますが、風や雨、路面状況に左右されまくって車より遥かに疲れます。しかも両者は運転の仕方もアクセルの開け方もブレーキのかけ方も全く違いますから、どちらかに慣れ切ってしまえば、そのどちらかに素早くシフトするのは難しいでしょう。
私、これすごく身に染みて感じているんです。入社前は「絶対に周りには染まらない。自分の道を突き進んで、己が人生は設計通りに進める」と決心していました。でも、いつの間にか過敏な受容体は日々の仕事や疲れで鈍磨していきました。
年末の忘年会で上司にこう言われました。「前の暇だったときよりも、仕事で忙しい今の方がイキイキしてるよ」と。数年前の私にとっては万死に値するくらいの侮辱だったでしょう。でもね、何が何処でねじれてしまったのか、「それも悪くはないな」と思ってしまったんです。そう思ってしまった私が許せません。そうなるまいと決めていたのに、今の私はそうなるまいと決めた頃の私を裏切ってしまったんです。だから、せめてものけじめなのです。
今年が無理なら私はもう無理でしょう。過去に目標を掲げ、そこに向かって走った私を、今の私もその意志を次いで走り切れるか、さもなくば過去の私を今の私が「あの時は若かった」「現実が見えていなかった」と手垢の付いた蔑みの言葉と共に殺してのうのうの生きていくか。その境目が今年なんです。
人生の先輩は言うんです。「若いからいくらでも失敗できるしやり直せる」果たしてそうでしょうか。今の感性は今にしかありません。今の情熱は今にしかありません。不確定すぎる未来に託せるほど、確固としたものなんてありません。
だから今、今に全て投げて生きるか死ぬか、切った張ったをしないといけません。
今年2020年、生い先短い身ですが、皆さんどうぞ宜しくお願いいたします。
今年が私にとっても、皆さんにとっても実り多き年になるよう祈っております。
ゲヘナより愛を込めて。